ウチそと研通信58 −カメラを携えた巫女−

エマニュエル・リヴァが撮影した広島の写真について―
年末から年の初めにかけての、何をするというのでもない時間に、ここのところ印象に残っている写真や読み物のことをぼんやりと考えていた。写真に関して言えば、何度となく目にしてきたものの印象を頭の中に晒してみていると、フランスの女優、エマニュエル・リヴァが1958年の夏に広島で撮影した写真が私の個人的な関心事として浮き上がってきた。正確には2008年の12月に「HIROSIMA 1958」と題された彼女の写真展を銀座ニコンサロンで見ているのだが、そのときに購入した「HIROSIMA 1958」という同名の写真集とともに、昨年一年、折に触れて考えることが多かった。ニコンサロンの展示でも好ましいと感じた写真だったが、手元の写真集を度々開いてみるとその印象がさらに深くなる。なぜ自分にとってこれらの写真が好ましく思えるのだろうか。
1958年に、アラン・レネ監督の映画、「二十四時間の情事」(原題 HIROSIMA MON AMOUR)の撮影のために日本を訪れたエマニュエル・リヴァがロケ地だった広島の街を歩き、6×6判の二眼レフカメラで撮影したモノクロームの写真を素材としてまとめたものが「HIROSIMA 1958」の展示と写真集である。両者に関しては、港千尋氏とマリー=クリスティーヌ・ドゥ・ナヴァセル氏の手によってまとめられている。撮影時期は1958年夏の一週間ほどの短いもので、リヴァ自身そのとき以来ほとんどまとめて写真を撮った事がないらしい。その撮影の目的、動機もそれほどはっきりしたものではないようで、映画の撮影に入る前の、いわば猶予の間に広島の街を巡り、気の向くままに撮影をしたということのようだ。いまから50年ほど昔の広島の夏の写真である。
リヴァの写真について、写真集のなかの「まなざしを贈る」と題されたテキストで港千尋氏はこう記している。
「戦前生まれの人もいれば、現役の大学生もいた。お互いに初対面の人も多かった。年齢だけでなく職業も実に多様な集まりだったが、わたしたちはそのとき、テーブルのまわりにいながら、どこか遠いところに連れてゆかれて、思いもかけぬ人々と巡り会ったのである。モノクローム写真のなかに入ったわたしたちの目は、まなざしに足が生えたように街角の細部へと吸い込まれてゆく。ちょうど50年前、遠い国から日本に来た人が、そうだったように。」−まなざしを贈るー港千尋 写真集『HIROSIMA 1958』(インスクリプト刊)より
港氏はこのように、リヴァの写真のコピーを広島で、20名ほどの広島の人たちに初めて見てもらった時のことからテキストを書き起こしている。リヴァの撮影した写真を見ていると、私もまさしく「まなざしに足が生えたように街角の細部へと」引き込まれてしまう。これは50年前の事物が写されている写真を見ての懐かしみということだけではなく、港氏のテキストにあるように、「どこか遠いところに連れてゆかれて」「思いもかけぬ」ものを体験する機会が得られるようにも感じられる不思議が、リヴァの写真には充溢しているように思えるからだ。写真を撮影したエマニュエル・リヴァの、眺めや人々、事物へのその時の名付けられないような好奇心や関心が、たまたま、1958年の夏に、リコー製の二眼レフの力を借りて、写真として残されたということになるのだろうか。このときのエマニュエル・リヴァはカメラを携えた巫女のようにも思えてくる。わたしにとってこれらの写真を見ることができたのは、ほとんど偶然の重なり合いのようなものかもしれないが、エマニュエル・リヴァが撮影した1958年の広島の写真に触れることができたことで、写真の秘密のひとつと、実は自分が隣り合わせているようなスリルを感じ始めている。