2009-01-01から1年間の記事一覧
今年のうちにメモしておきたいのは、松濤美術館で見た野島康三展「肖像の核心」のことだ。いわずと知れた日本近代写真の大先達である野島の写真を久しぶりに眺め、今まで思っていたとは別様の感想が湧いてきた。まず、展示の最初のほうに並ぶ大正期の男たち…
目黒区美術館、‘文化’資源としての<炭鉱>展(11.04〜12.27)をみる。炭鉱をテーマにした絵画、彫刻、写真、映画…。どの作品もストレートにエネルギーが伝わってきて疲れてしまい、このあと写真美術館をはしごしようと思っていたがやめてしまった。 かつて…
今年をかえりみると、たいしたことはしなかった気もするが、見るもの読むものにゆりうごかされることは多く、雑記帳にたくさん書き込みをした年になった。講義をしている授業のクラスに受講生として、航空工学の専門家や映画のプロ・キャメラマンだった方な…
先日、写真の内側・外側研究会の今年最後の例会があり、竹橋の近代美術館の常設展示を会の皆さんとみることになった。メンバーのほとんどはここの常設展示はすでにお馴染みで、私も半年に一度は必ずこの場所を訪れている。 何度も目にした作品ばかりではある…
最近、フレームが気になる。街を撮影するときに、人やモノ、場所の関係をなるべく切り離さないようにとパノラマ写真(※)を撮るようになってからだ。 写真にはいろいろフォーマットがあるが、その角が気になる。写っているものと写さなかったものの境界。写…
今月、10月27日から四谷3丁目にあるギャラリーで写真の展示を行うことになった。展示を括るタイトルは「博物誌に寄せて」とし、40点弱の写真を並べてみることにしている。 今年の夏に小諸のギャラリーで展示した写真を新たに大全紙サイズにプリントし直し、…
今年が我が国にとって本当に変革の年になるのかわからないが、もっと大きな変革、明治維新があったのは今から140年ほど前のことだ。東京で育った自分は知らなかったのだが、明治期の京都は大変だったらしい。 この夏、京都市学校歴史博物館に行った。廃校…
先年、飯田鉄さんが韓国で写真展を催した折、あわせて企画された韓国版の刊行物に、不肖わたくし、飯田さんの仕事を紹介する一文を寄稿させていただいた。異国の方々に伝わりやすいようにと考えて、いろいろ抽斗の多い飯田さんの世界からいくつかの側面のみ…
先だって丸の内に復元された三菱一号館をみる機会があり、興味深い思いをした。建物だけでなく場所も元の位置と2メートルほど異なるだけと言う。復元作業に深く関係された三菱地所のNさん直々の説明を伺いながらの少人数の見学会で、出来上がる過程を御本人…
骨を美しいと思うようになったのはいつからだろうか。 小学生の頃、死んでしまったカエルを軒下に埋めた。あとで掘り起こして骨格標本にしようと思ったのだ。ところが埋めた場所を間違えたのか、分解されてしまったのかもう骨は見つからなかった。 高校生の…
私が暮らしている町には古本屋が多く、駅への行き帰りに古本屋の棚を覘くのも日頃の習慣のひとつとなっている。そして電車で一駅、二駅隣の街には、さらに数多くの古本屋が散らばっている。この町に移り住んでからそれなりに年数も経つので、この辺りの古本…
平岡正明さんはすばらしい美声の持ち主だった。過去30年ほどのあいだで、幾たびか平岡さん出演のイヴェントに駆けつけ、そのたびに、なんという声のよさだと聞き惚れた。1960年代のテレビ洋画劇場できこえてきた吹き替えのナレーションを思わせ、FM東京「ジ…
以前にも紹介したムットーニ氏の展示を見た。(「ムットーニ ワールド からくりシアター」八王子市夢美術館) その日は入館者が多く、昔の紙芝居のように、ひとつの「からくり」の周りを10人ほどで囲んで見ることになった。氏の作品は常設展では見たことがあ…
読み終えて時間が経過し、ストーリーをほとんど思い出せなくなっている小説であっても、記憶庫から逃げ去ってゼロに帰したわけではなく、脈絡をたどれない一箇所にスポットライトが当たり、断片としてそこだけ浮かんでくるということがある。飯田さんのウチ…
4月の写真展「古いひかり」に続いて、7月、8月の2ヶ月にわたり個展を開く事になった。 今回は、私が折をみて撮り続けてきた、博物館や動物園、植物園の写真を展示することにしている。撮影の対象としては、これまで多くの人々が撮影をし発表もしているも…
マヤ・デレンの映画を久しぶりに観る。 昨年、とあるところで私よりかなり年下と思われる女性の写真家と話をする機会があった。初対面の彼女の作品についてすこし感想を述べる時、ふと思いついたのは、マヤ・デレンという人の映画の感触だった。マヤ・デレン…
連休に足利の栗田美術館に行った。伊万里と鍋島を専門に集めている美術館だ。広い敷地の中にテーマごとに展示館が点在している。好みの分かれるところではあるが、1万点といわれる陶磁器には圧倒される。しかしもっとも印象に残ったのは展示室入り口に掲げ…
(このところ通信に書きたい話題は多々あるのですが、慌ただしくしていて書く時間を逸し続けています。今回は数年前の旧稿を掲載させてください。大辻清司ポートフォリオ「eyewitness」東京パブリッシングハウス発行をつくったとき書いた挿み込みの記事です…
最近できた地下鉄駅の階段を上がってすぐ、通りの向こう側、交差点に面してそのバーはある。一見、看板がよく見えないのですぐには何の店だがわからないが、よく見ればガラス越しにカウンターとその奥の壁面を埋めるワインの瓶が見えるので酒場とわかる。以…
土曜の雨の午後、始発駅から乗り込んだ東急大井町線の車内は混むでもなくすくでもない、見知らぬ乗客どうしお互いの存在をそれとなく余裕をもって感知しあえるような、人と人の間隔が程のいい状態だった。平均年齢は若く、周囲でもっとも年長なのはひょっと…
むかし、はく製が苦手だった。田舎の小さな資料館においてあるはく製。毛がまばらに抜け、ガラスの面玉だけが鈍く光っている。それから田舎の少し大きな家の玄関に飾られていたキジやヤマドリ、タヌキやテン。 ホラー映画の小道具にもありがちだが、気味が悪…
何度読んでみても、ヘンリー・ジェイムスの書いた「ねじの回転」という小説は面白い。 これは一種の幽霊譚とも言うべき小説で、一人の女性が書いた手記を、知人の男性が読み手に紹介する形式をとったものだ。このずっと昔の19世紀の末に書かれた物語は、きわ…
非常勤で授業をもっている専門学校から、先日、勤続20年記念の腕時計をもらった。20年も経ったのか。まるで時計が玉手箱のように思える。 腕時計をする習慣はないし、頂戴した日本製のそれは箱に収めたまま、目の前の食卓の上に置いてある(やがてどこか落ち…
ニューヨークを出発したチャールズ・リンドバーグの愛機ロッキード・シリウス号が、アラスカ経由で北太平洋を渡り、国後、根室を経て霞ヶ浦へ着水するのは1931年8月末のこと。土浦の町の人々に大歓迎されたといわれる模様は、それに先だつ1929年巨大飛行船ツ…
法事で名古屋へ。法事の後、郡上から来た伯母が以前に住んでいた大須に久しぶりに行きたいというので、東京から来た私たち夫婦と、二人の義弟とその家族、伯母とあわせて10名、2台の車に分乗して大須に向かった。大須観音とともに伯母が毎朝参拝してたと…
大山さんがテキストを書き起こしているように、三回目の例会は浅草演芸ホールを楽しむと言う事になった。 観覧後、場所を変え、少し古めかしい喫茶店でお茶を飲みながらの感想交換は前回同様、面白い時間である。今回は寄席を見ることを体験したけれど、浅草…
まず、侍従たちのころがす立派な絨毯の巻物がスクリーンを横ぎり床にひろがる。マックス・オフュルスがフランスで撮った映画「マイエルリンクからサラエヴォへ」(1939)は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の誕生日を祝う式典の…
ウチそと研の集まりで浅草演芸ホールへ。最近の落語ブームのせいか1階席は混んでいたため、一同は2階席へ行くことにする。大日方さんが指摘していたが、2階席から見る落語は少し変わった印象だった。 最近、若い人が「上から目線」ということばをよく口に…
ここのところ、4月に予定している写真展の準備で何かと毎日が気ぜわしい。草森紳一さんがどこかで、展覧会など迷惑だと書かれていたけれど、私も知人、友人の貴重な時間をいくばくか奪っている場合もあるわけで、確かに迷惑な企てでもあろう。このような迷惑…
風景という言葉をあらためて眺め、「風」の文字に目が止まった。landscape、sceneryなら、単語の成り立ちに「風」はとりたてて関係していないと見られるのに対し、訳語に当たる現代日本語の言い方だとこのとおり、「風」が織り込まれている。それはどんな「…