ウチそと研通信145 −「TODAY TOKYO」の前後−

先日、四谷三丁目のギャラリー・ニエプスで田中長徳さんの展示を見た。日曜日の午後、ギャラリー内は混雑していて、来場者の間をすり抜けるように作品を見て歩いた。すでに会場には田中さんの姿があって作品の説明をしているところであった。ここ何年か、雑誌その他で田中さんの「TODAY TOKYO」時代のとくに東京の写真を目にする機会が多かったが、今回の展示は日大入学前からの作品ということで、たぶん初めて目にする写真ばかりだと思われる。プリント、展示レイアウトともオーソドックスで心地良い。ここでオーソドックスというのはストレートに焼き出したプリント、オーバーマット紙を重ねた額装。順当な会場レイアウトが私などの世代にとっては、一点、一点の写真が移動するたびに目に飛び込んでくれるという意味である。広い意味でのインスタレーションではあるけれど。
田中さんのニコンサロン(ニコンサロンは銀座にしかなかった)での初めての個展「TODAY TOKYO」は会期中、二度見に行っている。当時、田中さんは二十歳そこそこだったがすでにスター写真家といってもよい存在で、カメラ雑誌にはボリュームあるページ数で作品が頻繁に掲載されている。展示は、テレブロと呼ばれていたマットサーフェースの大きな印画紙に、銀の粒子もくっきりとプリントされているものが会場いっぱいに並べられていた。それらの写真に囲まれて圧倒されながらやっと思えたことは、田中という人は東京じゅう、どこにでも姿を現し写真に収める人なのだなということだった。行われている誰かの結婚式、学生らのデモ、モニュメンタルな新しい建築など「こんにちの東京」のいたるところに田中さんがカメラとともに出現する。仕事中ということで会場には田中さんの姿は見えなかったが、数年後、京橋わきの映画館「テアトル東京」横の交差点で、黒いカメラを持って信号待ちをしている田中さんの姿を初めて目撃している。
その日に催された田中さんのトークショーにも参加してみた。以前にはお目にかかってよく話を伺う機会はあったが、長い時間のトークショーを聞くのは実は初めての経験だった。トークショー前日の話から始まり、学生時代からウイーンに長期滞在する頃までの話を中心にトークショーが進められた。最後に写真家の中藤毅彦さんの質問に答える形で、写真を撮り始めた最初から、まっすぐに現在にいたっている、という意味あいの発言があり印象的であった。今回の展示の写真はそれぞれ見飽きない作品が多かったが、個人的には一点、石貼りかコンクリートの階段の幅広の手すりに座る男が、一人ぽつんと小さく縦位置の画面に収まっている作品がとても興味深い。人間の視覚には盲点というものがあるが、その盲点の位置にその男の姿があって、逆転するように盲点の男だけがはっきりと見えているような、そうした見え方がしているような気がした。そして田中さんの写真には、このような感触の写真がこれまでもいくつかあったのをその時、印象深く思い出した。
  「TODAY TOKYO 1966」ギャラリー・ニエプス 2016年7月1日〜7月10日