ウチそと研通信151 -吉村朗『Akira Yoshimura Works』-

本書(大隅書店刊)の巻頭に収められた〈分水嶺 The River〉は、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が相次いだ1995年、都市のカタストロフをまざまざと見せつける二つの出来事に挟まれた2月後半の期間に、銀座ニコンサロンの個展で当初発表されたシリーズだった。
吉村朗は1980年代半ば、都市の日常的なシーンを捉えたスナップショットで頭角を表わした写真家であり、筆者がはじめてその存在を意識したのも、新印象派の画家スーラの描いた河畔に憩う人びとの眺め(グランド・ジャット島の日曜の午後)を80年代日本の現実に横すべりさせたマジックを見るかのような、〈ウィークエンド・ピクチュア〉という、プールサイドでの鮮やかなカラーの一枚によってだった。後期資本主義社会的な主体の消滅感ともいうべきものを巧みに定着し、それでいてシニカルになりすぎず、無垢さとユーモアを漂わせているようであるところが、ほぼ近い時期の畠山直哉のシリーズ〈等高線〉とかさなり、”新人類”という当時国内のジャーナリズムでよく用いられたタームとも結びついて、いま脳裏にもつれ浮かんでくるのだが、〈ウィークエンド・ピクチュア〉をはじめとした初期吉村の都市スナップ群は大部分、現存せず、2012年に彼が急逝する以前のいつの時点かに、彼自身の手でフィルムごと廃棄されていたのだという(中平卓馬が『決闘写真論』のテキストに綴った、明け方の海辺でそれまでの撮影フィルムをすべて焼却したという1970年代半ばの場面を想起しないわけにいかない)。80年代作家として同世代の誰より早く脚光をあび、その才能を嘱望される新人だった彼が、80年代(彼の実年齢上の20歳代とかさなる)をかくまで徹底して始末していたとは。。
同時代者にこの『Akira Yoshimura Works』がつきつけるのは、まず、80年代作品の抹消=不在という事態であるに違いない。それは、写真家当人によって準備され、いわば意志的に仕掛けられていた。
分水嶺 The River〉は、80年代的なものからの切断=跳躍をだれの眼にも強く印象づける作品であったはずだ。「日本の大陸侵略の歴史的痕跡を、韓国・北朝鮮・中国が接する国境地帯への旅のなかで探し求めた写真を中心にしたモノクロの作品」(本書解説より)と説明されるこのシリーズから、本書は47枚を収録し、編者のひとり湊氏に確かめたところ、配列は作者が残したプリントのセットにあった通りをそのまま動かさず提示したという。初出時から20年を経過した今、このシリーズに接し、どう見えたかを断片的にメモしてみる。

各ページ1枚ずつ写真を見せる構成を作者自身がどこまで意図に含んでいたかは不明ながら、見開きページどうしの写真はどれをとっても十分濾過の過程をくぐり、磨きぬかれた対置関係に見え、左右2枚のユニットを単位としていくことで、シリーズ全体の緊密な――電子的な転換・移行の速度とダイナミズムをもつ――流れが生み出されている。(隣り合う二つのイメージの語らい、結びつきを糸口として、見ること、読むことが起動しだすように思えるのだ、本作品はとくに。)
たとえば本を開いて冒頭、第6ページ(盧溝橋の破壊された石の欄干)と第7ページ(板門店ツアーのアメリカ人観光客を乗せたバス)の隣り合う一方は縦位置、他方は横位置の写真に一挙に触れるとき、二枚を結ぶ項として、陽射しを遮蔽する”庇(ひさし)”が介在している、という事態がくっきり浮きたってくる。それぞれを一枚で見ていれば、さほど眼に際立たないことかもしれないのだが、前者における砕けた石塊の庇により前景を遮蔽・陥没させる黒、そして後者における晴天下、輝く星印を付けた庇(観光バスの屋根)が落とす影の一帯は、併せて示されることで互いに貫入しあい、視覚を遮る部分的な濃い黒味の感触をこちらの眼玉へ刻みつけてくる。
画面に空を広々と仰ぐことはしなかったし、地平線を見渡す視点に立つこともほとんどなく、また地べたをパースペクティヴの中に安定的に含めた風景描写をすることもごく稀だった(ソーシャル・ランドスケープ、ニュー・トポグラフィクスとは明確に切れている――〈分水嶺〉は、むしろロバート・フランクに近しいところがあるのではないか)。視界を限定づけ、遮る、貧しい小窓のようなフレームでなくてはならない。画面に手触りとして、なんらかの障害感として、見ることを条件づける物質的限界のありかが示されている。見ることへの”庇”の介在は、続く第8、第9ページの街角での人物スナップや、二重橋前広場の風にそよぐ柳の枝々の下でコリアン・アメリカンの青年をクローズアップしたショット(第12ページ)へと続き、〈分水嶺〉導入部を強く方向づけているようだ。
見開きの二枚は、ページを繰るごとに順光/翳り、遮蔽/穿孔、クリア/ブレボケ、直視(間近さ)/遠隔視(介在するTVモニター)といった対置をさまざま組み合わせ、駆けぬけるように転換をかさねていく。超光速航法というSF用語を引き合いに出したくなる、イメージからイメージへの圧縮的移行の鋭さ、スピード感――これは、他にあまり類例を思い浮かべられない、〈分水嶺The River〉ならではの流儀にして力技、吉村朗が掴んだ突破口的な達成だったに違いない。
 
本書は巻頭の〈分水嶺The River〉に続き、その後の吉村作品〈闇の呼ぶ声 Dark Call〉、〈新物語 New Story〉、〈ジェノグラム Genogram〉、そして2004年に北折智子企画で開催した個展〈u-se-mo-no〉の展示作までを収録している。〈分水嶺〉という突破口を抜けて、そこで見つけた手ごたえを拡大・増幅し、さらにアクセルを踏み続け加速を止めなかった感のある彼の軌跡が、見事な印刷でここに再提示された。
短期間で見とおせる本ではないだろう。まずは〈分水嶺The River〉の1995年をしばらく反芻してみることから、本書との付き合いを始めていきたいと思う。〈分水嶺The River〉に現れる、多言語の文字たちの乱舞、斜めに飛び散る光、少女たち、そして立ちはだかる塔の威容は、続く各シリーズでどのように瞬間転位をとげ、変容していくだろうか――。