ウチそと研通信164 ー「夏の驟雨」そして、「真夏の夜のジャズ」のマへリア・ジャクソンー

今年の夏は早い梅雨明けとともに、連日、過酷な暑さが続き、日本全国で多くの老人達が亡くなり、誰もが心身ともに疲弊している。8月も暑さが続きそうだ。こうした夏は私が記憶する限り初めてだ。同時に西日本の惨禍を聞くと、日本中が空襲をうけ、原子爆弾に焼かれた1945年の夏をふとシンクロさせてしまう。いつもの夏であれば、昼過ぎや夕方に雷雨や通り雨があり、道も樹も濡れて気温が下がる時もあったはずである。東京都区内では今年の夏はそれも少ない。
夏の驟雨といえば印象的ないくつかの小説や映画の重要なシーンを思い出すが、もうひとつ個人的には1950年代のニューポートジャズフェスティバルを記録した、「真夏の夜のジャズ」という映画と関わる一つのライブ録音盤がいつも頭のなかに浮かんでくる。これはCD化もされているのだろうがもちろんレコードである。このジャズフェスティバルには当時人気のあった人たちが多数出演しているが、私の聴いていたのはマへリア・ジャクソンというゴスペルシンガーのステージのライブ盤だ。ここでは1958年にアメリカのロードアイランド州ニューポートで開かれたジャズフェスティバルに、マへリアが出演した際の音源が収録されている。 、、、偉大なゴスペルシンガー、ミス・マへリア・ジャクソンの時間がやって参りました、、、と司会者に紹介されて、マへリアが「夕べの祈り」という曲を歌い始める。多分陽が暮れてからの出演なのだろう。ちなみに日本で「真夏の夜のジャズ」と題された映画だが、原題は「Jazz On A Summer’s Day」となっている。このLPレコードを聴いたのは1964年の東京オリンピックの前後だったと覚えている。家にあった粗末なレコードプレイヤーで何度も聴いている。ゴスペルソングとは何と人に迫る歌い方をされるものだろうと、彼女の歌唱を聴くと当時そう思った。このLPと夏の驟雨と何の関係があるのだろうか。実は野口久光さんのライナーノーツに彼女の演奏中、真夜中に雨が降り出し、しかしその場を聴衆は立ち去らず、急な雨の中彼女の歌に聴き入っていたというくだりがあり、印象深かったからだ。確かに録音の途中、「ジェリコの戦い」を歌い出す前にマへリアが聴衆に呼びかける箇所がある。 、、、皆さんは私をスターみたいな気持ちにさせてくれる、、、この雨の中で、、と言っていたように覚えている。レコードからは真夏の夜の雨音などは聴きとれなかったと思う。だがそのライナーノーツを読んだ後では、雨が降る夜の会場の様子がどうにも想像されてしまう。映画ではそんなシーンがあるのだろうか。
ここまで書いてきて、家にあるはずのそのLPは見つからず、解説を書いていたのが野口久光さんだったのか、実は自信がない。この映画の監督、撮影はこの時代に活躍中の写真家バート・スターンだ。しばらく前の電車の中吊り広告に、彼の撮影したニコンFを持つマリリン・モンローの写真が使われていて、またバート・スターンの「真夏の夜のジャズ」をふと思い出したのかも知れない。Webを検索するとそのLPは「NEWPORT 1958 MAHMLIA JACKSON」というタイトルのものにも思える。尤も邦盤はタイトルと曲目は異なる事が多い。伴奏するプレイヤーをチェックすると、ピアノがミルドレッド・ファリス、オルガンがリルトン・ミッシェルという人たちのようだ。二人のプレイは素晴らしかった。このアルバムの中に「歌のように生きよう」という好きな曲があって、これが何処か小節を効かせたような歌唱で、笑われてしまいそうだが、ええっ、美空ひばりの「リンゴ追分」と似ているなんて感じたりもした。飛行機が嫌いだったマへリアが来日公演を行ったのが1970年代半ば。眼の前に出演料が積まれるまでステージに上がらなかったというエピソードを聞いたことがあるが、真偽のほどはわからない。