ウチそと研通信2 −写真を撮り続ける−

先日、三鷹で関口正夫、三浦和人の二人展を見た。
なかなか見ごたえのある展示で、お二人とも40年以上もしっかりと写真と向き合ってきたことがよく分かる興味深い展覧会であった。この展示を見てまず感じたことは、写真という道具がどこに力点がおかれるかということが立場によって鮮やかに、あるいは見取り方によって鮮やかに、明らかになるのではないかという思いに捉われたことだ。
展示を通覧して、二人ともある軸を元に写真の営為を重ねてきた事に気づかされる。それは自分たちのアリバイと写真の継続が密接に、或いはより密接にありたいと願って、写真を撮り続けてきたことなのだ。誰しもこのような思いはもっていることだろうが、今回の展示ではよりくっきりと私たちに示されているのではないだろうか。展覧会のテーマはスナップ写真との事だが、私たちの目に見えてくるのは二人の生きてきた時間の固まりではなかろうか。
そして、二人の自分たちのアリバイの証明の仕方はある意味で対照的に感じられる。関口さんはいつもある普遍の指標に導かれて写真を撮り続けることで関口さんの宇宙の戸籍簿を完成しつつあるのではないだろうか。三浦さんの場合はいつも自分という心と体を世界或いは他者に照らし合わせ、写真で確かめることが彼の営為のエンジンなのではないかと思わされた。自分を見極めるために写真を取り続ける事、これもひとつ写真の意味だと思う。そして二人の姿はあきらかに違う。
(2008.9.30)