ウチそと研通信3 −スナップショットの時間(その1)−

飯田さんが触れられた三鷹市美術ギャラリーの関口正夫、三浦和人展「スナップショットの時間」に、僕は図録寄稿者、ギャラリーでの鼎談パネラーとして関わりをもった。二人の40年にわたる写真行為が、自分にどんな感化をあたえるのか、感化を受けたならそこから自分としてどこへ向かおうとするのか、ということをあらためて近頃よく思う。
考えのまとまらないまま幾つかメモを。

・関口さんの1970年前後のスナップショットには、広角の視野をとりつつ同時に奥の一箇所、一地点のなにかに視線をひと息に吸い込まれるような、ただちに収斂していく鋭い動勢が潜んでいる、といったことを言うと、それに応じて関口さんは、その頃デザイン事務所で働いていて広告写真(たとえば立木義浩や横須賀功光のマガジン・ワーク)をよく見ていた、その影響が出ているのかもしれないと語った。いまだに当時のジャーナリズム用語である「コンポラ写真」(すでに死語となっていると見るべきだろう)という枠づけによって語られ、そんなことで片づけられがちなその頃の関口さんの写真が、同時代のコマーシャルフォトの領域とけして遠くなかった、入り混じる部分をもっていた、とご本人から示唆されるかっこうになった。ここ覚えておこう、見方がちょっと膨らむ。

・三浦さんの初期、60年代後半撮影の6×6判スナップを見ていると、写真の中の光と影の間隙に登場してくる、たとえばタイヤ修理屋の角をこちらへ歩んでくるくわえタバコの男といい、古いアパートの玄関先を小走りによぎるかっぽう着のおばさんといい、野菜を売る露地の店で肥え太った大根を腕にかかえる人の佇まいといい、どこかマンガ味(一コマもののカートゥーンを想わせる人物描写のタッチ、軽快さ)がある気がする、と感想を伝えると、三浦さんは即座に反応し、学生の頃観たシナトラ主演映画「黄金の腕」(The Man with the Golden Arm)のタイトルバックに使われていたアニメーションが凄く好きだった、と語ってくれた。グラフィックデザイナー、ソール・バス(Saul Bass)によるアニメーションから刺激され、街の場面になにごとかを見つける視点を学ぶことがあったのかもしれない。そう言われて思い当たるところがある。

Saul Bass on the web - beta

(この項続く)