ウチそと研通信67 −美術館はどこへゆく−

ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』(HET NIEUWE RIJIKSMUSEUM)をみる。以前、仕事でオランダを訪れた際、30分ほどの空き時間があり、レンブラントの「夜警」だけをあわてて見て出てきたことがある。同美術館はオランダの重要な文化遺産で、最大の観光資源でありながら、2004年以来閉館したままになっている。その理由である美術館の大規模な改装をめぐる悲喜劇を描いたドキュメンタリー映画。そもそも美術館、博物館(とそこに収蔵される貴重な文化財を含めて)は誰のものなのか、というより、博物館、美術館は何のために存在する施設なのかを考えさせられる映画だ。
改装計画の途中、その設計の変更を余儀なくされた建築家の「民主主義の悪用だ」という言葉。そもそも、ある計画がすべての人々から支持されるということがあり得るのか。とくに税金を投入する公共施設であればなおさらだ。いま日本に数千館ある博物館や美術館、それらの建設、あるいは今後の存続の可否を、民主的な方法として、すべての市民による直接投票に委ねていたのであれば、いったいどれほどの施設が存在しえるであろうか。
マスコミで取り上げられるような大規模な展覧会は、ときに入館制限がされるほど多くの人々で賑わっているが、その一方で廃館の危機にある施設も多い。入館者数や「お宝」的な価値観はわかりやすいものだが、その価値のすべてを数値化できるものだろうか。
博物館、美術館には4つの機能がある。「教育普及」、「資料収集」、「整理保管」、「調査研究」で、通常、われわれが直接かかわりのあるのは展示を含む「教育普及」だ。展示は博物館の重要な機能ではあるが、資料の収集、適切な保存、研究が背景になければ成り立たない。一般には見えにくい機能についても適切な評価が必要だろう。博物館、美術館はただの「箱」ではないのだ。
何かをつくる側(あるいはそれを支える側も含めて)よりも、それを管理する側の声が大きな時代。何かをつくることは時間も手間もかかることで、なかなか効率よくはいかないものだ。博物館、美術館の価値はどこにあるのか。それを見誤れば、新潟市美術館http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201006120144.html)のような過ちを犯してしまうだろう。