ウチそと研通信68 −書き言葉と写真−

久しぶりに歌集を買ってみた。光森裕樹という人の歌集である。友人からのお薦めだった。私にとっては、はじめてその歌をみる人で、「かばん」などの流れにも混じるような歌が多いが、初期の寺山修司の匂いなどいくつかの近い過去の歌人を思い起こさせるものもどこかに込められているようで、私にも少々馴染みやすく興味深く感じられた。角川の短歌賞を受賞しているなど、期待される若手の一人というわけだろう。
この人のサイトを開いてみると、たくさんの写真が掲載されていたのでこれも少し眺めさせてもらった。写真を撮ることも好きな人らしく、私が見た範囲では外国に旅行をした際のスナップが数多く、きれい(色彩も)で端正な写真がこれでもかというぐらい並べられている。歌集にも「旅客機」や「旅行」に関する詠が多く面白い。地球世界とか交通、電脳的なものを含めての「交通」が、日常的になっていることのようではあるが、それは言語(げんご)も含めてこれからこのような若い世代が開発することと思うところだ。写真はそれなりの雰囲気を共通して与える物だが、歌に比べると私には単調に感じられる。言葉が作り上げる世界の反芻と、写真がそのまま存在する世界とのちがいを、御本人がどう思われているのか、想像するとこれも興味深いことである。ともあれ、延々と続く異国風景はイタリアの作家、イタロ・カルビーノの著作のいくつかに似ているといったらどう感じられるのだろうか。評価は別にして不思議に似ている。蛇足ながらつけ加えると、掲載写真のなかに光森さんが撮影されたタイの二匹のサルの写真があり、レヴィ・ストロースの若い頃のブラジルの写真を想い起こさせて、面白かった。
もう一人、ここのところ気にかかる文章家の写真がある。辺見庸氏の写真である。新聞に掲載されたいくつかの写真を拝見するだけだが、いつもそれなりに気になってしまうことが多い。テキストを読んで、写真を見ることでの画像の印象が変わることはあるけれど、実はかなり私にとっては響きあうことが多く、編集者の媒介もあるではあろうが、機会があれば、しばらく見ておきたい画像の世界のひとつと思っている。
もうひとつ、内輪のことを加えたい。先日、といっても夏の暑い時期に開催した大日方欣一さんの課外講座はなかなかスリリングな内容であったと思う。熊谷氏の細かな生涯の話しを聞きながら魅力的な写真を見せられると、写真を媒介にして時代そのものと、人が常になにかを感じ、受け入れ、そして影響されつつ生きているのだということを、あらためて教えられ、元気づけられたレクチュアーであったことをご報告しておきたいと思う。次回のうちソト研究会の課外講座は、また厳寒の頃に開催予定なので、どうぞご参加のこと、皆様によろしくお願い申し上げます。