ウチそと研通信121 −拍動的−

先日、畠山記念館の『煙寺晩鐘図』(えんじばんしょうず http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/colle001.html)を見た。この絵を知ったのは三木成夫の『海・呼吸・古代形象』の中で取り上げられていたからだが、それ以来、ずっと見たいと思い、公開されるのを待っていたのだった。公開の最終日にやっと見ることができた。
この絵について本の中では以下のように触れられている。

「霧の流れは、梢の波に乗り、そこにおのづから、ひとつの“拍動的”な景観を展開することになるが、それは植物と手を携えた大気の呼吸そのものではなかろうか。」

そしてこの大気と植物が織りなす情景は、人間の体のなかの循環、小腸の働き、排泄と重ねあわされ、太陽を中心とした地球の公転のリズムが、植物にもわれわれ人間の中にも記憶されているのだと。

「もし植物の茎が動物の腸を裏返したものであるとすれば、われわれの体内では、まさにこの情景が小宇宙的営みとして繰り展げられている」

初めて間近に見る『煙寺晩鐘図』は、解説文にあるような鐘の音は聞こえてこず静寂のみであったが、大地と大気をつなぐ樹冠のシルエットに、その「拍動」は感じられたように思う。