ウチそと研通信133−「三県境」を水辺でー

 「彼岸も終わり何とも心地良い秋を、光を全身に浴びながら各メンバー一斉に『九州三県境』を目指した」と、あとがきに記された写真同人誌九州2号を眺めていて、気づくといつのまにか初夏めいてきた。木漏れ陽のもと(大濠公園なう)、ページをめくり意識があらため向かうのはモノクロームの尾崎雄弥さんの一枚、地べたに置かれ、低木の影でひそかに隠れ待つような「きよ丸」という小舟のショット。

 釣り舟だろうか。舫い綱らしいものでどこか(笹竹の藪?)へ繋がれ、古びて汚れも目につくが打ち捨てられたとはみえず、スタンバイの風情をとどめる。熊本県人吉で撮影されているそうだから「きよ丸」は球磨川を下ったのかもしれない。落ち葉を踏んで舟の後ろ側にまわれば、画面奥の白い光のむこうに水辺が開けていそうな兆しも感じる。

 公園のベンチに腰かけていま書いているのは批評でもなんでもなく写真を眺めながら反応をとりとめなく記しているだけなのだが、ここも水辺(福岡市にあるこの公園、杭州西湖をモデルに造景されているらしいです)で目の前をちょうど手漕ぎのボートがのんびり行き来しているけれども、陸の上の「きよ丸」の佇まいこそは土地をめぐる尾崎さんの構えというべきか、現在の基軸的なスタンスをほうふつとさせ、今回の連作の中でも一つの心臓部をなすショットだと思わせる。尾崎さんは風景の中にじっと待機している何ごとかを見出す。

 それに対し、カラーの内田芳信さんの写真には、出逢った相手とかわす挨拶の声掛けをともなうショットが多いように感じる。陽性の声で、カラッとした空気、静かな風景の中にぽつりと現れてくる誰かしらとコンタクトする。傍観者の位置にとどまらないで、遭遇した誰か、袖すりあう存在と対面的に交信をかわそうとするーーそういう感じが内田さんのスナップを特徴づけている気がする。

 ここまで書いて、だいぶ気温がさがってきた(そろそろ夕暮れ)。公園のベンチを離れ、次におちつく先をさがそうか。そういえば、『三県境』のカラー・ページで内田さんと松岡美紀さんの作品を見分けようとするなら、画面から感じられる温感が一つの手がかりになるのではなかろうか。松岡さんの写真、内田さんのよりだいぶ涼しい、またはひんやりしているから。

 (ここで地下鉄に乗る、続きは後ほど)