ウチそと研通信8 −キャパの写真集を見て−

授業の際、ときおり学生たちに写真集を見せる事がある。しかし、美術系の学校である事もあって、どうしてもアート志向のものに片寄ってしまいがちである。そこで少し違う傾向のものをと思い、手元にあったキャパの写真集を持っていった事がある。ロバート・キャパの弟のコーネル・キャパとリチャード・ウエランが編集した分厚い、決定版と銘打たれた写真集である。久しぶりに手にとって見るとなかなか面白く、つい最初から最後まで熱心に見てしまった。
この写真集は、撮影の時系列にしたがって編まれており、最初から見てゆけばそのままキャパの伝記を読んだことにもなる仕掛けだ。いわゆるキャパのマスターピースを中心に数多くの写真が載せられている。たぶん一冊のキャパの写真集としては一番多い写真の量だろう。この本の編集から導かれてゆくと戦争写真家としてだけでなく、キャパという人が1932年のレオン・トロッキーコペンハーゲン講演から、1954年にインドシナで死亡するまで、時間の中を移り進んでいった事がリアルに実感できる。このことはかなり私にとっては気になる事であった。一冊の本を見終えるとキャパのユーモア、汗や体臭、眼球の動きなどもなんだか身近に感じられるような錯覚に陥ってしまったのだ。キャパという肉体が紙の上で動き回っているようで実に面白い。初期のスペインの町でのスナップ、へミングウェイの写真まで、戦争、戦闘、戦場の写真とともにひと連なりに、キャパの一貫した性格から写真が成立している。
またこの写真集では、いわゆるシークェンス的な写真も多い。このこともキャパの視線を共有させるような働きがありそうだ。さらにその視線といえば、ある種の自信に満ちている。きわめて優れた直感で戦場の状況を判断し行動する。それが彼の写真に反映され、ひとつの余裕が写真の中に生まれているようだ。いろいろな事を想像させてしまう、斃れる兵士の写真もその一例ではないかと思われる。さらにその余裕は彼の体質的なユーモアもまぎれこませ、彼の写真に大衆性を与えているのではないかと思われる。他の戦争写真とは感触が違うのを誰しも敏感に感じ取っているのではないだろうか。スタインベックと従軍した際の文章にもほのかな余裕とユーモアがうかがえる。彼の写真にどこか没入できるというのはその間口の広さにもよるのだろう。歌人塚本邦雄の歌につぎのようなものがある。
 「突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼」
塚本のこの歌はたぶん、斃れし兵士のイメージからうまれたものと思われるが、1958年刊行の「日本人霊歌」と云う歌集に収められている。キャパの死後、4年目の発行である。ロバート・キャパの写真は、報道が写真と言うものに大きく依存するようになった時代の産物だが、キャパと言う大きな性格に支えられている事も確かだ。それが繰り返しキャパの写真を人々がみること、そして味わえる事の理由のひとつと思われる。さて、この写真集を見た学生諸君の感想だが……。きっと。そのうちに、どこかで、…………。
書名「ロバート・キャパ 決定版」 ファィドン株式会社 2004年、11月11日刊