ウチそと研通信12 −フレームのウチそと2−

見上げるほどの高さの板塀に囲まれた空間。表面は黒く焼かれ、その上にらくだ色のかたまりがうねうねと描かれている。細かく繰り返されるウロコ模様はすぐに認められるが、視野からはみ出る全体像は中々把握できない。じっと見ているとウロコの間に鋭い目が見えてくる。しかもそれはひとつではなくいくつも。濃い霧の中、得体の知れない巨大な生きものと遭遇したような気持ちになる。
神奈川県立近代美術館の「岡村桂三郎展」は、両壁面を覆う作品そのものが空間を構成している。この次は天井まで覆うのだろうなとふと思う。
以前私は、昔のモノクロ写真をロール紙でプリントアウトして、それをつなぎ合わせてほぼ原寸大の写真パネルを手作りしたことがあった。それは小さな紙焼きをスキャンして拡大したもので非常に粒子の粗い写真であったが、立ち上げて見るとびっくりするほどの臨場感があった。
頭より先に体で感じる等身大のリアリティー。大辻清司は「写真ノート」でジョージ・シーガルの作品に触れ、“等身大の像というだけで現実の空間になじみ込んでしまう”といっていた。
最近は小さな卓上、携帯メディアが増えているので、大きさやモノとしての存在感に関心が向いてしまう。
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/okamura/index.html