ウチそと研通信13 −写真の後ろ姿−

通信9の「おおぜいで一枚を」 (http://d.hatena.ne.jp/uchi-soto/20081027/1225065987) で眺めたのは、アメリカの写真家ウォーカー・エヴァンズが1930年代、ある住まいの室内とその隅っこにいる男の子を撮った一枚だったのだが、これを見て直ちに、「知らない男、無表情 シャッターを切り、何かを少年に与えて去る。少年はこのことを親に語らない」と、眼にしたシーンへの反応をすみやかに走り書きした人がいたのには、オッとたじろぎを覚えた。
そこにいる男、撮影者エヴァンズという人の気配、体臭、やりくち、身の処し方の流儀にわたってを、なかなか見事に無理なく掴んでいるのではないかと思えた。画面のシーン、写真の出来事、その場のただ中へ入りこむ、そこへ仮初めにも心身を連れて行くことができたのだろう。そんなふうに写真を見ることができる時、写真を見ることは体験になる。体験というに値するだけの体験になりえていて、そうでなければ見たことにならないのではないか、とさえ思うこともあったりするが、普段いつもいつもそんなふうに写真の出来事のただ中に身を浸したり、駆けつけたりできるわけでもない。
「シャッターを切り、何かを少年に与えて去る」撮影者エヴァンズの後ろ姿まで感じたらしい、なかなかのセンサーを作用させた、この走り書きの書き手という人は誰だったのだろうか。無署名のメモを渡されたきりなので、もはや確かめるすべもないが、その人の後ろ姿の跡をいま、幾らかの憧憬をもって想像してみているところだ。