ウチそと研通信14 −ピラネージ展を見て−

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの版画展を町田市の版画美術館で見た。ピラネージは18世紀イタリアの版画家、建築家で、ゲーテや多くの文人、建築家、画家に影響を与えた人だ。この美術館でピラネージを見るのは二度目になる。前回はかなり以前で、それまで図版でしか見たことの無かったピラネージのオリジナルの版画を、その時はじめて眼にした。有名な牢獄のシリーズを直に見たいと思って出掛けたけれど、会場で少しがっかりしたことを記憶している。様々な本の中に引用されていたぼんやりとした図版のほうが私の想像を掻きたてくれるような気がしたのである。その代わりに18世紀、彼の暮らしていたローマの景観をあらわした銅版画のシリーズには惹きこまれるものがあった。曰く「ローマの景観」、「ローマの古代遺跡」などのシリーズである。そのときの印象を抱えて町田市に向かってみた。
今回の展示は前回の展示に対して、ピラネージの世界をもう少し立体的に見直す事を試みているように思われ、私にとって大いに示唆にとんだ経験をさせてくれるものであった。会場ではピラネージに影響を与えただろう人物や時代の流れも紹介され、これも興味深いものだった。図録の解説も丁寧で、しばらく折に触れて読み込んでみたい気にさせられている。ピラネージはローマ古代の豪壮な遺構をテーマとして扱うことが多いので「廃墟」の景観と意識される部分があるかも知れない。しかし「古代ローマのカンプス・マルティウス」と言う大判銅版画のシリーズに見られるとおり、最盛時の都市の光景、建築物を復元、知覚させようとする意識と想像力が根底にあるように思えてならない。「廃墟」を乗り越えてもっと別なものを造り上げようとしていたのではないだろうか。竺覚暁氏が図録解説で述べられているように、ルドゥーなどにイマジナルな影響を与えていると言うのもうなずける事だ。
彼の「景観」のシリーズは独特の誇張に満ちている。建築物は一般に実際のものより大きく描かれ、また時代や場所の異なるものを混在させたりしている。この誇張が画面に勢いと緊張感を与えている。ゲーテがピラネージの版画に憬れてローマを訪れ、現実の光景との違いにがっかりしたと言う。また彼の死後、50年ほどで写真が発明されているが、ピラネージの銅版画の彫りの精緻さは8X10で撮影した写真のように凄みのあるものだ。この精細さと誇張のまじりあったピラネージの版画はなかなか見飽きる事が無い。そして、およそ30年に渡ってローマと言う都市のビジョンに執着し続けた彼の意欲に対し、個人的に深い興味を感じている。
 ピラネージ版画展2008 −未知なる都市のかなたにー
 2008年10月4日―11月24日 町田市立国際版画美術館
追記
ここまで書き終えて本棚をふと見たら、参考にしようと捜していた、以前のピラネージ展図録の背表紙が眼についた。取り出してみると1989年の展覧会で、もう20年前の事なのかと驚いている。版画美術館の館長はまだ久保貞次郎氏の時代だ。中を開けてみたが、新しい図録には無い図版もあり、これも丁寧に編まれた良い型録である。図録の表紙には「ローマの遺跡」(ローマの古代遺跡)の壮大な船着場の図版の部分が使われている。このモチーフは米国ハドソン・リバー派の、トマス・コールの絵にも影響を与えているようで、ほぼ同じ内容の油彩の作品が残されている。19世紀のトマス・コールの作品も面白いが、コロニアル風の厚みの無い印象に比べるとピラネージの作品の奥行きがいかに深く、厚いかが解る。彼の夢想は壮大であるが熱が深く強く、軽薄ではない。