ウチそと研通信18 ―1960年の渋谷―

蔵原惟繕の監督作品、「狂熱の季節」をはじめて観た。東京の渋谷を背景に,ティンエージの若者達のエピソードを映像にしたもので、1960年度の作品である。
主演の川地民夫は見物だった。鈴木清順の幾つかの作品にバイプレイヤーとして登場する時の川地民夫のパフォーマンスを、更に剥き出しにして見せてくれている。彼のエキセントリックな苛立ちの振る舞いは、鬼気迫るところがあり、この作品でもその不思議な発散する力を充分に見せつけてくれる。アンソニー・パーキンスのような性格に比較もできるが、削げかえった、しかも張りつめた彼の肉体は、あきらかに東洋のものである。カンフー映画のスター達の半裸の舞踏のような演技を思い返せばよい。
映画が始まり、そうしたわけで川地民夫の動きをあっけにとられて見ていたが、そのうち、そこここに映し出される、背景である夏の街の光景に私の気持が引き込まれ始めていった。渋谷駅周辺と思われる眺めが目の前のスクリーンの中で生き生きと動き出してきたのである。主演の川地民夫の動きも見えるのだが、背景の街の有様、蠢くような街の人たちの行き交いも体の中に移りこんでくる。川地民夫が舞台で演技しているとするとその舞台自体が生きて形を変えていくように揺れ動いているのがとても興味深かった。二つの動きは混じるようで混ざらない。次元の違うもの同士が同時にふたつ、私に見えているように思われ、これはセットの場面以外にずっと感じ続けた印象だ。
手持ちと思われるカメラの動きのためか、或いはこの映画全体に移動撮影が多用されていることが私にそのような感じ方をさせたのだろうか。
この映画の撮影は間宮義男が担当している。間宮義男は蔵原惟繕の映画の多くを撮影している。彼の名前が語られる事はそれほど頻繁ではないが、もっと注目してみたい存在である。彼の撮影の特徴はあの極めて横長のシネスコの画面の扱いがうまいことにある。それも広角気味のレンズを使った画面作りに精彩がある。彼の弟子たちが間宮義男の技法をまねしても同じような密度の高い画面には遂にならなかったという。そのような眼で「狂熱の季節」を見てみると、街景の撮影に独特の拡がりと集中力が同時に感じられるのも当然とも思える。この映画が封切られた1960年頃の渋谷、湘南、田園調布などの風景、風俗の稠密な画像の中にひたすら引き込まれる思いがしたのである。
この時代の渋谷は駅ビル、東急文化会館などの巨大なビルが街の中心に建ち、周囲の戦後を引きずる様な、渋谷の谷地を埋め尽くす低い木造家屋の群れを見降す眺めになった時代である。現在の東京のそこかしこで見られることと同じ事が1960年頃の渋谷でもあったわけだ。東京全体が、オリンピックを前にして姿を大きく変える時期である。日本の写真家たちも実はこの時期の渋谷の写真を数多く撮影している。木村伊兵衛、VIVOの写真家などの写真をその頃のカメラ雑誌で見ることができる。それらの中の渋谷は実に静かに私の眼の前にあるのだが、「狂熱の季節」の渋谷は、映画を見終わったあとの今も私の頭の中で、白黒の粒子の塊が繰り返しざわめいている。
−第9回東京フィルメックス蔵原惟繕監督特集「狂熱の季節」―