ウチそと研通信28 −展示−

ここのところ、4月に予定している写真展の準備で何かと毎日が気ぜわしい。草森紳一さんがどこかで、展覧会など迷惑だと書かれていたけれど、私も知人、友人の貴重な時間をいくばくか奪っている場合もあるわけで、確かに迷惑な企てでもあろう。このような迷惑な事をずっとやり続けている。最初は1975年に新宿のギャラリーで開いた「写真都市」と題する個展である。パンフレットのために詩人の方にテキストをお願いしたり、渡辺勉さんに率直に批評されたり、それなりに思い出深い写真展だった。
これまで見てきた写真展の事を思い返すと、大掛かりな写真展もそれなりに記憶しているが、意外と規模の小さな展示が、深い写真の印象として残っているように思う。大掛かりなものは、拡声器で何事かをつねに懸命に説明されている感じがする。池袋であったダイアン・アーバスの展覧会でも、それまで日本では見られなかった規模と展示のスマートさには驚かされたが、いちばん惹きこまれたのは一点一点銀の粒子で編まれたようなアーバスの写真そのものだった。私の個人的な体質によるものだろう。
私が展覧会というものを経験したはじめは、多分1958年に上野の国立博物館で開かれたゴッホ展である。次兄と秋晴れの日に、入場を待つ列に並んだ記憶がある。列は鶯谷の駅近くまで伸びていた。影響を受けたのは学校の授業で水彩の厚塗りをしたぐらいだが、小暗い館内で見たゴッホのデッサン類は小学生の私にも、何だかわからない特別なものを見たような深い印象が感じられた。その後ゴッホの画集や小林秀雄の「ゴッホの手紙」を目にするようになっても、厳しいようなゴッホの初期のデッサン類のことを思い出さずにはいられない。余談だが、ちばてつやの「あしたのジョー」に、よくリングやジムの片隅に置かれた、人の座っていない椅子が登場する。アルルの部屋のゴッホの椅子を、連載当時いつも思い出させられていた。最近ではイラストレーターの伊野孝行さんが絵と文をかいたゴッホの小冊子もじつに面白かった。
もうひとつ、記憶に残る展示について記しておきたい。その昔、世田谷で暮らしていたことがある。世田谷は今では住宅街ではあるが、もとは農道だったという道も多く、道路が思いがけなく曲がったり、Y字路が多い。或る時からそのような空間が少し歪んだような場所に、「作品」が「展示」されていることに気がついたのである。「作品」は厚手のボール紙などに、週刊誌などから切り抜かれたと覚しい、人物やものの写真が貼り付けられ、文字も印刷物から切り抜かれていることが多かった。アッサンブラージュというかコラージュというか、某氏が作り出す「作品」は切れ目なく場所を変えつつ、電信柱やフェンス、ブロック塀に展示されていた。なんとも不思議なこの世田谷の路上展示には、私以外にもかなり大勢の観客がいたはずである。お終いに海辺の写真展というのも紹介しておこう。アメリカの写真家アウターブリッジがラグナビーチで作品を展示している写真がある。アートフェアの一環らしいが、砂浜に作られた仮設の小屋の壁面に隙間なく作品が飾られ、本人がその前で椅子に腰掛けている写真だ。もちろんこれは写真を売るということが大前提の展示である。

飯田鉄写真展 「古いひかり」 4月2日より4月8日まで(4月5日は休廊)
新宿御苑前 アイデムフォトギャラリー「シリウス」にて
       phone 03-3350-1211 AM10:00からPM6:00まで 最終日はPM3:00で終了