ウチそと研通信30 −皇帝は幸福でなくてよいのだ−

まず、侍従たちのころがす立派な絨毯の巻物がスクリーンを横ぎり床にひろがる。マックス・オフュルスがフランスで撮った映画「マイエルリンクからサラエヴォへ」(1939)は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の誕生日を祝う式典の準備で宮廷内は大わらわ、というシーンから始まっていた。やがてこの冒頭は、皇帝の息子ルドルフが某女性と心中を遂げたマイエルリンク事件(1889)の少し後あたりの状況らしいとわかってきて、本作では次の新しい皇位継承者となったフランツ・フェルディナンド大公が主人公、彼がサラエヴォで暗殺される1914年までを描いている。皇妃エリザベートの話は出てこない。
老皇帝が思想信条の違う若い大公のふるまいに怒って苦虫噛み噛み「皇帝は幸福でなくてよいのだ!」と呟くくだり、よかった。場面転換に馬車や汽車、滑走する乗り物のシーンが挿みこまれることが多い。前半では、大公とチェコの貴族の子女ゾフィー・ホテクの出逢い、紆余曲折を経て結婚へ至る流れが描かれるが、その中で写真が小道具的アイテムとして三度、三様にわたり登場していた。
1)大公の母がゾフィー・ホテクを呼び出し、初対面で品定めをするくだり。小箱から少年の頃の大公の肖像写真をとりだし、ゾフィーに見せる。それが彼女を息子の恋人として承認する意思表示の行為になっているようだった。でも写真をあげるわけではないのだ。これはあたしのといわんばかりに再び小箱へしまってみせる。
2)ゾフィーは、皇族(ハプスブルク家)のべつの一家で女官として働きながら、大公と秘密の逢瀬を持つ身となる。その住み込み勤務先の邸には、思春期前後の娘が5人もいて、時折遊びにくる大公の目当ては娘のうちの誰かなのだろう、と当然のごとく信じ込む多くの人びと。庭に写真師がやってきて、娘たちと大公がつどう記念写真を撮ろうとする。シンメトリーの整った構図を追求する写真師は、苦慮している。もう一人入ってくれると調和が生まれるのだが。そこでゾフィーが呼び出され、集合写真に加わるはこびとなった。これでよし、ようやく諸事ととのっていざ撮影に及ぼういうところで、陽射しがにわかに雲がくれ、写真師は再び頭をかかえた。
3)大公は懐中時計の蓋の裏側にひそかにゾフィーの写真を貼り付けている(史実では写真でなく絵だったらしいが)。だれかに見られたらいけないわとゾフィーが心配してみせる。だが大公はいう「皇太子に時刻を尋ねるヤツはいないよ」。しかし、馬の遠乗りに出た折、大公はこの時計を紛失。だれかに拾われ、結果的に蓋裏の写真によって秘密の恋がばれ貴賤結婚問題に発展、宮廷は紛糾をきたす。
こうしてみると、三つとも多少なりとコミカルな人間関係の駆け引きのある箇所であり、写真というアイテムは愛情の秘密をともない、また、いとも簡単に小さな失敗や裏切りをまねき寄せてしまう性質をもつらしい。映画のラストのほう、サラエヴォの場面は、最近の映画「サラエボの花」で見た景色、街をぐるりとりまく山並みの眺めと合致しているように思え、群集もバルカン半島人の雰囲気満々としており、行ったことがなくとも匂い懐かしく、だが、後で聞くと、ここのところのロケ先はサラエヴォではなく、フランスのどこかの田舎ということだった。