ウチそと研通信33 −リンドバーグの映像−

ニューヨークを出発したチャールズ・リンドバーグの愛機ロッキードシリウス号が、アラスカ経由で北太平洋を渡り、国後、根室を経て霞ヶ浦へ着水するのは1931年8月末のこと。土浦の町の人々に大歓迎されたといわれる模様は、それに先だつ1929年巨大飛行船ツェッペリン伯号の飛来とならび、当地における郷土史近代篇中のもっとも華やかなシーンとしてよく語られている。 リンドバーグはこの時、アン夫人を連れだって二人旅の飛行だった。夫妻はその翌年、第一子の誘拐殺害事件という悲劇に襲われてしまうのだが、そんなことはもちろん露ほども思い寄らないことだったろう。料亭霞月楼の松の間で、霞ヶ浦航空隊の軍人たちとつどうリンドバーグ夫妻の記念写真には、冒険に挑む意志の強さとか精悍さよりも、むしろ周囲の状況に戸惑いぎみのまだ初々しい雰囲気がうかがわれる。顔貌のほっそり長いところなど二人はよく似ている。
なぜいきなりリンドバーグかというと、たまたまある本をめくっていて眼に飛び込んだのがこんな記事だったからだ。
「…一方日本軍は土肥原賢二北米上陸軍司令官の下にハワイ、米本土西海岸を占領して、ニューヨーク、ワシントンへ向かって進軍、トルーマンを更迭してリンドバーグ米大統領に任命した。」
はて? これだけでは何のことか不可解であり、パラレルワールドもののSFというわけでもない。記事は1945年、太平洋戦争終結の局面に関わるもので、その当時、ブラジルの在留邦人社会のうちに「日本大勝利」の誤報が発生する。これにあれこれと尾ひれがついて怪ニュースは猖獗をきわめ、右はその一例だという(前山隆著『異邦に「日本」を祀る ブラジル日系人の宗教とエスニシティ』 第三章「千年王国論としてのカチ組の成立」 御茶の水書房 1997)。ブラジル日系一世の人々の心に浮かんだ幻想の快進撃はこれほどに徹底的なものだった。同書によると、大勝利の報に続いて、日本海軍がブラジルの領海まで来ている、移民出迎えの帰国船がもうすぐやって来るぞ、というウワサまでが次々飛びかったらしい。故国の戦勝、敵国に対する完全制圧というまぎれもない「拡大」であるはずのイメージが、故国への帰還がようやくかなうという期待感、いわば「回帰」ないし「収束」的なイメージへと繋がってしまうあたり、意外でもあり、何やらずいぶん示唆的でもある。
ともかくもリンドバーグの名と映像が、そのとき、日系ブラジルの人々の共同幻想のなかにこんなに輝かしく降臨したわけである。彼を大統領にというのは、ひたすら荒唐無稽ともいいきれないはずだ。ごく近年、フィリップ・ロス(『さよならコロンバス』『素晴らしきアメリカ野球』の小説家)が、1940年代を舞台としてリンドバーグが大統領選に出馬しルーズベルトに勝ってしまうという筋立ての問題作('The Plot Against America' )を発表していると聞くから、この仮想にも背筋をくすぐるほどの現実味はあったろう、という気がしてくる。
もう一つ、1927年にスピリッツ・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行(おなじみ「翼よ、あれがパリの灯だ」)を成功させた直後のリンドバーグを撮ったとおぼしいニュース・フィルムの切れはしが、いま脳裏に甦っていて、それはたぶんニューヨークでの祝賀パレードの模様だろう。フランスからの帰路、クーリッジ大統領の特命により軍艦一隻がわざわざ出迎えにきたそうだから、一種の凱旋というべきシーンだ。大群衆に取り巻かれ、紙吹雪舞うなかをオープンカーで行くリンドバーグ。人々の幻想をつのり、膨らませていくスターの轟々たる人気ぶり。ああ、このありさまでは大統領への道を考えてしまったとしても無理もない。その映像は、バスター・キートンの主演作「THE CAMERAMAN」(1928)のおしまいのところに、ふと、短い夢のように挿入されていた。