ウチそと研通信35 −見えないもの、見えるもの−

何度読んでみても、ヘンリー・ジェイムスの書いた「ねじの回転」という小説は面白い。
これは一種の幽霊譚とも言うべき小説で、一人の女性が書いた手記を、知人の男性が読み手に紹介する形式をとったものだ。このずっと昔の19世紀の末に書かれた物語は、きわめてはっきりとした方法意識に司られていて、これまで多くの読者、研究者たちに様々な解釈や評価がなされている。ヘンリー・ジェイムス自身、近代的な小説のひとつの形を作った小説家として位置づけられている人物である。本人の性格、振る舞いもとてもユニークな人物であったらしい。極端な意識家でもあり、アメリカで生まれ、ヨーロッパ、そして英国で生涯を終えるという経歴の持ち主でもある。幾つもの逸話が残されている人で、我が国の小説家では中村真一郎という人が彼の小説の手法、そして、生きてきた彼のくさぐさのことについて、念を入れて書きしるしている。その彼が読み直してみると意外と感銘が薄かったというのが「ねじの回転」というこの小説である。なぜそのような評価を与えたのか、この小説に興味を持つ人間として少し気になる点ではある。
この小説はイギリスの田舎に家庭教師として雇われた女性が、教え子である二人の子供たちと暮らすうちに、彼らに憑りつき、自分たちの世界に引き込もうとする幽霊の「存在」に気づき、それと闘う流れが手記の形で記されている。幽霊譚といっても、ゴシックロマンを単純になぞるようなおどろおどろしい描写はなく、ある意味でそっけなく撮られた写真のように、抑制の効いた明瞭な文章で綴られる。そのあたかも記録写真のような精確に綴られたような文章で、やがて私たちに幽霊の「存在」が告げられる。子供たちの家僕であった男がその幽霊である。作中、いくつかの場所で子供たちを誘惑するために出現する幽霊は、その出現したところの細かな情景とともに、もしくは情景の一部として描かれてゆく。見えるはずのないものを女教師は明晰に見、感じていることが極めて控えめにしかし念入りに描かれる。19世紀から20世紀初めにかけて生きたヘンリー・ジェイムスは、端整な文章を投げ出すように私たちに提示するわけだが、見えないものを現前させうるような思いがこの小説を読むうちに湧き起こってくる。そしてそれだけではなく、キプリングの小説、ディケンズの小説などにも、さらにはイングランドの物語をかたちづくってきた人間たちと共通した文章の世界がアメリカ生まれのヘンリー・ジェイムスの作品にはあるように思えてならない。フランスの文芸とはまた違う、英国の文章世界に彼の作品がつながる思いがする。近代的な方法の意図だけではなく、古雅といっても良いような物語意識がこの小説の魅力でもある。
さて、ヘンリー・ジェイムスの作り出す文章の世界は、言葉というもので、見えるものと見えないものの世界をつなげているように、個人的に感じている。唐突だがそのような事が「写真」でも有りえているのか、実のところ写真に関心を持ち始めた頃からずっと、気になっている事のひとつである。そのような事が必要な事であるかどうかはわからないけれど、ときおり自分の見ている写真が見えないもの、或いは見えることのないはずの世界につながるような思いをすることがある。かなり長い時間、写真というものと付き合っているはずなのに、見えない世界とつながる写真というものが有りえている様でもあり、しかし違うようでもあり、未だにずっと結論めいたものが出せずにいる。
「ねじの回転」はオカルティズムとの境い目にある題材を物語にしているが、ほかにもこの境い目を感じさせる作品がヘンリー・ジェイムスにはあり、これも不思議な味わいを持っている。遠い場所にいるはずの人が、その死に際の瞬間に眼の前に現れる、という体験をもつ二人の男女を中心にした「友だちの友だち」という小説で、小説中、男性の肖像写真がちょっとした小道具として登場する。ウチそと研通信―30の大日方さんのテキストにあるように、19世紀から20世紀初頭の写真の、今日とはちがう希少性が描かれてもいる。シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」にも記念に肖像写真を与える事が重要な意味を持つ事が描かれている。
イギリスで生涯を終えた、プラグマティズムの哲学者を兄に持つこのヘンリー・ジェイムスという人は、写真というものにも方法もしくは構造の意識を働かせていたようである。彼の幾多のポートレートのなかに、2枚で1組になったものがある。アリス・ボートンという人物が撮影した写真である。ひとつは彼がきちんとポーズをとった横顔の写真、もうひとつはその写真をなにやらの思いを見せた表情で見入っているもの、この2枚で何かを語らせているようだ。写真の表す世界のことに、決して無邪気ではない事、見えること、感じることに決して無条件ではなかった事がはっきりと窺えるように思う。この一組の写真は1906年の撮影とある。見ること、見えること、見えてしまうことが人間のなかで何かを造り上げる、あるいは造り上げてしまう事について、ヘンリー・ジェイムスはなにか、思いをめぐらしていたことがあるのではないかと想像している。