ウチそと研通信36 −ジオラマ−

むかし、はく製が苦手だった。田舎の小さな資料館においてあるはく製。毛がまばらに抜け、ガラスの面玉だけが鈍く光っている。それから田舎の少し大きな家の玄関に飾られていたキジやヤマドリ、タヌキやテン。
ホラー映画の小道具にもありがちだが、気味が悪いというより寂しい感じがする。特に小型の鳥類のはく製がそうだ。生きていた時にはふっくらとしていた羽がぺたんと生気を失ってやせ細ってしまう。野や山で見る鳥の姿には程遠いものだ。南の海のカラフルな魚が釣り上げられたとたんに色を失ってゆくのに似ている。はく製と同く以前は自然の情景を再現したジオラマに対しても否定的に考えていた。実際の自然には決して追いつくことのない疑似空間であると。
しかし、ニューヨークの自然史博物館にあるジオラマを見て少し考えが変わった。杉本博司の写真でも有名だ。じかに見たそれは現実とは違った美しさを持っていた。ジオラマが鑑賞に充分堪えうることに気がついた。ジオラマではないが、もうひとつ気になるはく製がある。はく製群といったほうが正確かもしれない。まだじかに見たことがないがパリにある国立自然史博物館(le Museum national d'histoire naturelle)の中の「進化の大ギャラリー」(Grande Galerie de l'evolution)だ。たくさんの動物たちが同じ方向に向かって立ち並んでいる。手塚治虫の「ジャングル大帝」の動物の大行進のイメージ。図録でしか見たことがないのだが、天井の高い広々とした空間の中に照明で浮かび上がる動物たちの姿は壮観だ。フランスのドキュメンタリー映画動物、動物たち」(Un animal,des animaux)でこの常設展示の改装(1991〜1994)の様子を見ることができる。
はく製やジオラマは基本的には「リアルさ」を追求しているのかもしれないが、実際は自然をそのまま写したものではなく、人間が考える自然のありようを再構成したものである。ジオラマの話ではないがたとえば昔からめでたいものとしてツルとマツの図柄があるが、あのツルは実はコウノトリだといわれている。マツの樹上に巣をつくるのはコウノトリで、ツルは枝に止まることはできない。昔、コウノトリもツルと呼ばれていたことから両者が混同されたのだろう。当時は厳密に区分する必要がなかった。先日もある展覧会で昔の花鳥画をみていて「目白」と表記されていたのだが、どうみてもメジロには見えない。たぶんルリビタキではないかと思う。その絵を描いた本人がメジロだと思って描いていたのか、後にメジロと伝えられたのかはわからない。ただ丁寧な筆致をみれば、モデルになった鳥がメジロではないことは確かである。話が少しそれてしまった。はく製、ジオラマの話に戻せば、恐竜や哺乳類の骨格標本や復元図も時代とともに少しずつ変化している。ちょっと昔の図鑑を今のものと見比べてみればよくわかる。
収蔵庫や物置の奥でほこりをかぶっている古いはく製たちも、それをつくった人間とその時代の自然や生きものに対する理解、自然観が反映されているのだと思えば、それも面白く、また貴重な遺産なのだと思えるようになった。