ウチそと研通信40 − 一人称の展示 −

連休に足利の栗田美術館に行った。伊万里と鍋島を専門に集めている美術館だ。広い敷地の中にテーマごとに展示館が点在している。好みの分かれるところではあるが、1万点といわれる陶磁器には圧倒される。しかしもっとも印象に残ったのは展示室入り口に掲げられたパネルに書かれた創立者栗田英男のことばであった。パンフレットから抜粋すると
「伊萬里、鍋島のみを展示するもので、これ以外の作品に対しては一顧だにせざる信念と一貫した思想の美術館…」「美術館全体が伊萬里、鍋島に至心の気魂と情熱を傾けて建設した城郭…」
など、収集から展示にいたるまでの思い、強い意思が述べられていた。
昔、北海道の二風谷にあるアイヌ資料館に行ったことがある。上司から頼まれた資料を余市に届けた帰り、どうしても行ってみたくて、列車とタクシーを乗り継いで二風谷を訪ねたのだった。その資料館は、今は亡くなってしまったがアイヌ初の国会議員であった萱野茂氏がつくったもので、ご自宅の隣に建てられていた。そのときは2月か3月、雪は降ってはいなかったが一面真っ白で、全く湿り気のない乾いた雪の上を軽登山靴でザクザク歩いて資料館に向かった。資料館の前に立つとシャッターが下りていた。冬季は閉館だという。昔のことなので正確な文言は思い出せないが、
「冬季は休館ですが、せっかく来ていただいたので、自宅に寄って声をかけてくれれば開けます…」
というようなことが書かれていた。もしかしたら萱野茂氏本人に会えるかもしれないと、自宅を訪ねると出てきたのは若い女性だった。娘さんなのかお孫さんなのか分からなかったが、私一人のためにわざわざシャッターを開けてくれた。外気とほとんど変わらない資料館に入ると息が白くなった。小一時間ほどじっくりと見て回った。小さな資料館ではあるが丁寧に展示、解説されていた。その中でひとつ目を引いたのが漁具の展示だった。それはアイヌの道具ではなく水俣の海で使われていた漁具だった。解説パネルには
「私は水俣の漁具です…」「どうしてこの資料館にあるのか不思議に思われるでしょう…」
人間の過ちによって昔の姿を奪われてしまった海について漁具が語るという解説文だった。博物館の展示解説はできるだけ客観的な書き方がされるのが通常である。学芸員や学者など研究者が文章化し、内容、表現、文字数などが幾度もチェックされる。誤字脱字ならまだ良いが誤った表現、数値やイラスト、写真などに誤用などがあると施設の信用問題に関わるので慎重にならざるを得ない。
しかし、二風谷のアイヌ資料館のような一人称の表現は、場合によっては鑑賞者の自由度を奪いかねないが、客観性や公正さよりも展示する側の意図、ねらい、意思や主張などメッセージをはっきりさせ、心地よく感じることがある。資料の調査、収集、研究、展示という長い時間をかけた営みに基づくものであれば、このような語り口も時には必要ではないだろうかと思った。