ウチそと研通信43 −ねじと鉛筆−

読み終えて時間が経過し、ストーリーをほとんど思い出せなくなっている小説であっても、記憶庫から逃げ去ってゼロに帰したわけではなく、脈絡をたどれない一箇所にスポットライトが当たり、断片としてそこだけ浮かんでくるということがある。飯田さんのウチそと通信で語られていたヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」を例にとると、どんな筋かいってみろといわれたら忘れたという他ないが、それでも妙に持続している感触はあり、そこは脳裏にこびりついている。どうやら一箇所ではなく、主人公の視線が遭遇する状況の似かよう二つの箇所のようだ。この小説を読んだことのある方なら、きっと憶えておられるのではないかと思うのだが、どうだろう?
それは、まず主人公の女性家庭教師が新しい勤務先、イギリスの田舎にある古い貴族の邸を初めて訪れようとして、視界の向こうに邸の全貌が見えてくる距離まで来て、建物の一角に突き出たバルコニーにじっとこちらを見据えたまま動かない存在がいることに気づく場面であり、もう一つは、主人公である彼女がその邸をとりまくピクチャレスクな風景のなかを散歩中、沼のほとりへ出て、ふと、対岸にまっすぐこちらを凝視し佇んでいる正体不明の者がいるのを認める場面である。どちらも顔の表情までは明確には掴めない、どんな他者なのか識別が成り立つか成り立たないかの境目にある、それくらいの距離を隔てて謎めく他者とダイレクトに視線をかわしあう、という出来事を描いた箇所である。ふいに遭遇し、わからないまま見つめあい、しばし身動きできなくなる。この感触は、同じ作者の「デイジー・ミラー」にある、夕刻、主人公の男が湖のほとりで宵闇のむこうに立つ顔かたちのさだかでない女性の存在に突然気づく場面などとも近しくかさなるものだろう。ストーリーはぼんやりとしか了解できていないのに、そういった距離と対他性の感触は、なぜだかつよく残っているのだ。双眼鏡や望遠レンズごしに見ていた相手がいつのまにかこちらを見ていることに気づかされる、ヒヤリとするような視線の逆転劇とも近いものがあるかもしれない。
「ねじの回転」のそれら二つの場面と結びつき、いま念頭に浮かんでいるのは、カロタイプ写真術の創始者フォックス・タルボットの写真集「自然の鉛筆」にある一枚の写真である。1844〜46年に分冊のかたちで公刊され、史上最初の写真出版物ともいわれるこの本には、かねがねミステリーやホラーにつうじるテイストがわりあい濃く含まれているのでないかと感じてきた。端的に、たとえば棚にならぶ書物の背を写した一枚の収録写真に添える自筆テキストのなかで、タルボットはたしか、やがて可視光線の範囲を越える波長の光をとらえる写真術が開発されるであろうこと、灯りの消えて真っ暗闇になった夜会の席におこる殺人事件の光景をとらえたワンショットの写真が真犯人を明かす、という小説が書かれるだろうことまでを予言していたはずである。あるいは、なにかと有名な、自邸の納屋の扉に立て掛けられた「箒」の写真では、写真術というものをマジックとかさね、魔女のあやつる時空の乗り物へと連想をつなぐような機知がはたらいているのだと思う(この一枚を愛したタルボットの母レディ・エリザベスは、「ほうきのひとりごと」というニックネームをそれに与えたそうだ)。棚に陳列された陶磁器やガラス器のコレクションを写し、古い文書や版画のファクシミリを試み、植物標本やレース編みからのダイレクトプリントによる図像を並べ、またオックスフォード大学やウェストミンスター寺院などの歴史的建造物の細部を描写していく、そうした収録作群から、この書物そのものが一種の博物館的展示空間に擬せられるような器としてあるという印象を授けられ、飯田さんが前回の通信で述べられた「奇妙な時空の圧縮感、屈折感」が漂うのを感じられる。「自然の鉛筆」は、探偵小説とファンタジーの胚珠と博物館に堆積する時空の澱のようなものを内蔵している本なのだ。
「自然の鉛筆」収録の24枚のカロタイプのうち、何枚目だったかは調べればすぐわかるが、タルボットの自邸レイコック・アビィの建物を川岸から望んだワンショットがあった。あくまで自分なりの印象としていうのだが、この画面にある距離感が、ヘンリー・ジェイムズの小説と結びつくのである。遠景というほど離れていないが、近くもない。建物の近辺にかりに人がいたとしても、それが誰とはただちに識別しにくいかもしれないほどの隔たり。「ねじの回転」と「自然の鉛筆」は、イギリスの田舎の古い貴族の邸とそれをとりかこむランドスケープを主要舞台としているところが共通しており、邸にむかし暮らした人たちの幻影をよぎらせる興味・関心がいきづいていることでも類縁性がある。数世紀前、尼寺だったというレイコック・アビィの庭から、中廊下の柱列にからんで茂る蔓状の植物群を写した一枚に添え、これを想起の糸口(インデックス)として、タルボットは埋もれていた時間を引きよせ、尼僧たちが月明かりの晩に瞑想にふけっていたシーンを甦らせる、そうした内容のテキストを綴っていた。