ウチそと研通信44 −フレームのウチそと4−

以前にも紹介したムットーニ氏の展示を見た。(「ムットーニ ワールド からくりシアター」八王子市夢美術館)
その日は入館者が多く、昔の紙芝居のように、ひとつの「からくり」の周りを10人ほどで囲んで見ることになった。氏の作品は常設展では見たことがあったが、このような企画展で見るのは初めてで、しかも今回のように一度にたくさんの作品を見ることができて満足したのだが、同時に少しだけ何か物足りなさを感じた。帰路の電車の中であれこれ考えたのだが、以前に「からくり」を見たときは、常設展示でもあり観覧者は私ひとりか、いても2、3名であった。どうやら、「からくり」を見る人数に問題があるらしいと気がつく。多分、氏の「からくり」はひとりあるいはごく少数の人間に対して語りかける性質のものなのだろう。
これと似た違和感を覚えたのは先日大変賑わった阿修羅展だった。修学旅行以来、30年ぶりに見る阿修羅像の姿は美しいものだったが、阿修羅像の背後に回ったとき「?」と思う。背中を見ることができるのはこの展覧会の売りのひとつでもあったのだが、罰当たりだとか宗教的な意味ではないが、後ろから見るものではないと感じたのだった。時代とともに文化財、美術品のもつ意味や価値は変化し、それに合わせて新しい演出が試みられる。基本的にはどんな見方をしてもかまわないのだろうけれど、やはりものには適した見方、接し方があるのだと思った。
後日、人の少ない時間帯を狙ってもう一度「からくり」を見に行った。真空管、金属のパイプ、ミラーボール。人形たちの昇降と回転、明滅する光と音楽。いくつか共通するモチーフが組み合わさって様々な物語が展開される。その中のひとつ、微妙な光の変化によって石版に浮かび上がる化石のビーナスを見たときに、昔、展示計画を担当したある博物館で見た化石を思い出した。石の表面をさざ波状の模様が規則正しく並んでいた。それはカニの足跡がごく浅く刻まれたもので、照明の調整をうまくやらないと陰影が跳んでしまい見えなくなってしまうのだった。
どの「からくり」も光と音、動きが絶妙のタイミングで組み合わされ、箱の中に納まっていながら、光や音とともにイメージが拡張していく。来館者のまばらな展示室で「からくり」たちをほぼ独占し、充実したひと時をすごすことができた。