ウチそと研通信45 −麗筆の秘密−

平岡正明さんはすばらしい美声の持ち主だった。過去30年ほどのあいだで、幾たびか平岡さん出演のイヴェントに駆けつけ、そのたびに、なんという声のよさだと聞き惚れた。1960年代のテレビ洋画劇場できこえてきた吹き替えのナレーションを思わせ、FM東京ジェットストリーム」の城達也氏の声の音域をやや高くし、もっと陽性にしたような声質といえばいいだろうか。どこかバタくさくもあり、甘美なものを含んでいる。まさに「横浜的」。むかしジャズ評論の先達・油井正一さんが「平岡正明の麗筆」という言い方をしたことがあるけれど、舌を巻くほどの麗筆、あの文体のドライブ感の秘密は、平岡さんの魅力的な声にこそあったのではないかと、ふと思えてきてしまう。
深夜営業の店でおこなわれたディスクジョッキーの記録「クロスオーバー音楽塾」と「一番電車まで」、そしてFMラジオ番組の放送を本にした「オン・エア 耳の快楽」などの著書は、まさに平岡さんの声と語りを文字におこしたものであり、これらは個人的に、思い屈したときに読むと効能抜群の本だから、何度読み返したか知れない。下岡蓮杖晩年の筆になる浄瑠璃「横浜開港奇談・お楠子分れの段」を平岡さんのペン先が再演するところから入る「浪曲的」といい、ビル・エヴァンスのライブ盤で聞く名曲マイ・フ−リッシュ・ハートの音のつぶやきからニューヨークという都市を幻視し、次第に溶暗して冬の季節の江戸へワープ、街にきこえる新内流しの音について論じはじめる「新内的」といい、聴き入って声音の生まれた風景、土壌のひろがり、歴史的葛藤の過程を掴みとる感受性の深さ、イキのよさには、幾度となく打ちのめされてきた。数年前、某所での講座で、古今亭志ん朝さんの演ずる落語「堀之内」の慌て者が駆け抜けてゆく都市の動態描写のくだりの録音を聴かせたあと、それとかさね、ギンズバーグの「Howl(叫ぶ)」の詩行をおもむろに息せき切って朗読し、見事だった。
キリスト教について言及するとき、平岡さんの批評眼にきまって凶の字が浮かぶように感じ、ここは今のところ敬して近づかずにおきたい(なにか根が深いものがありそうだ)と思ったことが何度かある。銀巴里セッション(富樫と高柳)といい、ジョアン・カエターノ劇場でのエリゼッチ・カルドーゾとジャコー・ド・バンドリンのステージといい、ジェームス・ブラウンの沖縄コザ公演といい、ポインター・シスターズの「ライヴ・アット・ジ・オペラ・ハウス」といい、その他もろもろ、実況録音を聞き込んでそこでまさに刻々と生起し進行していく出来事を活写していくときの平岡さんの耳とペン先は類稀れなものがあり、そういった文章を集めて(平岡音盤実況中継集)むさぼり読みたいと、いま思った。本日夜明け前、平岡さん逝く。