ウチそと研通信46 ―RIDERS ON THE STORM―

私が暮らしている町には古本屋が多く、駅への行き帰りに古本屋の棚を覘くのも日頃の習慣のひとつとなっている。そして電車で一駅、二駅隣の街には、さらに数多くの古本屋が散らばっている。この町に移り住んでからそれなりに年数も経つので、この辺りの古本屋はほとんど知っているように思っていたのだが、或るとき知り合いと話しているうちに、私が気づかなかった本屋があることを教えられた。訪ねてみた古本屋はテナントビルの奥めいたところにあり、その人の話どおり美術書や写真集も置かれている。ハワード・ホークスの「三つ数えろ」の骨董屋のような雰囲気の店の、棚に並べられた本の様子をぼんやり目で追いかけているうちに、ドアーズと記された本の背を見つけ、買うことにした。熱心なフアンとは言えないけれど、ドアーズは何かの折に思い出し、彼らの音を聴く事も多い。
ドアーズのメンバーの一人、ドラマーのジョン・デンズモアが書いたこの本の原タイトルは「RIDERS ON THE STORM 」で、ドアーズの実質的なラストアルバム「L.A.WOMAN」に収められた曲名からとられている。内容はほぼドアーズのボーカル、ジム・モリソンについての回想記に尽きるものだ。どうしてもドアーズはジム・モリソンを中心にして語られる。これもドアーズのファンにはすでに有名な本なのだろう。しかし初めてこの本を読み、長い間聴きつづけてきたドアーズがいまひとつ身近なものになったような気がした。と言っても、実の所そのことがいいことか悪いことかは判らない。
ドアーズというグループの音楽を、ビートルズストーンズと共にその世代の男としては普通にリアルタイムに聴いていると思うが、他のグループとの違いは月並みながら、ジム・モリソンの言葉がつくる詞の世界の印象深さにあったように思う。LPの歌詞カードからどれほどのことを読み取れたかはまるで自信は無いけれど、デビューアルバムの「水晶の船」からラストアルバムの「ヒヤシンスの家」まで、歌詞やタイトルの不思議なイメージの膨らみに、これは今でも心が躍るような気がする。それは懐かしさといったものでもなく、ジム・モリソンの言葉には、時の疲労や風化にも耐えていきそうなリアリティを感じもする。
この本は、デンズモア自身がペール・ラシェーズのジム・モリソンの墓を訪れるところから始まる。ジム・モリソンは1971年7月3日、パリで死亡している。パティ・スミスがジムの墓の前に立つちょっと有名な写真があり、その写真では墓石も判然としない小さな墓所である。そこからお決まりのように彼らの最初の出会いに戻り、ドアーズの物語が語られ出す。読み進めていくと、若い彼らが何かをなし、他の人間たちに認められていく高揚感と、時を経るにしたがって生じ始めるジム・モリソンを軸にした仲間たちの軋轢が興味深い。デンズモアの立場から彼らの中の出来事が細かく描かれて入るが、どろどろとしたものは物語の底に澱のように沈んでいて、ドアーズの履歴の見取り図がきちんと眺められる。最初はドアーズの軌跡とゴシップに気を惹かれてこの本を読み始めたのだが、読み終える頃にはそれだけではなく、デンズモアと言う人間が、いかにして強烈なジム・モリソンと相対感を得、自分を回復したかったのかをじわじわと感じだしたのである。
これは私の誤読かもしれないが、この本を書き、出版しようとした気持の多くの部分は、彼のなかでの自己回復の欲求ではなかったかと思われてならない。デンズモアがこの本を書くことによって、モリソン離れができたかどうかは判断できないが、ひとつのステップを踏んでいそうな事を思わせてくれて、私のドアーズに対する見方も少し変わったように考えている。この本に出会わなかったらごくシンプルなドアーズファンでいたかも知れない。無邪気なフアンでいるのもしあわせだが、「RIDERS ON THE STORM」を読んだ後に聴いたドアーズもけっして悪くは感じられなかった。この本の面白さは回想記ではあるが、著者本人の強い自己回復の意識がのっぺりした記憶の再話に終わらせていないところにもあるのだろう。
書名の「RIDERS ON THE STORM」は既に述べたようにドアーズのラストアルバムの収録曲だが、そのアルバムの一番最後に収められている曲でもある。ドアーズについてはオリバー・ストーン監督の映画があり、観たいとは思いつつこれも未見で、だらしのないドアーズファンである。よく知られているように、ジム・モリソンはUCLAの「motion picture division」に在籍していた。彼より少し前にコッポラもここで学んでいる。

「ドアーズ」ジョン・デンズモア  飛田野裕子 訳  1991年 早川書房