ウチそと研通信48 −三菱一号館をみる−

先だって丸の内に復元された三菱一号館をみる機会があり、興味深い思いをした。建物だけでなく場所も元の位置と2メートルほど異なるだけと言う。復元作業に深く関係された三菱地所のNさん直々の説明を伺いながらの少人数の見学会で、出来上がる過程を御本人から聞きながら、デティールを確かめるようにみる少々贅沢な体験である。建築時の図面と、解体時の実測から復元図面を起こし、残されたわずかな部材から構成部材を再び用意したという。
復元作業のメンバーはNさんを含め、私から見たらかなり若い世代の人たちで、そのひとたちが熱心に取り組んで完成させたのも面白く思えた点である。まるで素人に近い私からも、復元のプロセスを体験した若い世代の人たちがこの世に生まれたことになるのは心強いと思われる。Nさんの話を伺っていると、図面や現実の部材のテクスチュアーからいかにして復元するかは、従事する人たちのひとえに想像力と感受性にかかってくるように思えた。
内装や展示はまだ完成の段階ではなかったが、元銀行のホール部分は素敵である。建物は外観よりも内部が面白いといつも思う。外観は意匠として、ある場合距離をおいてみることができるけれど、内観は生身の自分の身体の五感が全て働きだす。建物は内観を差し置いてはつまらないと思える。ホールの一隅に営業当時の写真が一枚飾られていたが、この一枚があるだけで、復元された空間とかつて使われていた建物の空間の時間と空気を重ね合わせ、一瞬今ではない時空に意識が飛び出すように感じられる。ホールはカフェ、バーとしても使われるというが、ここで夕刻、親しい人と一緒にビールの杯をゆっくり傾けるのは楽しそうである。
見学会の後、新丸ビルで皆さんと、これも復元作業中の東京駅を望む高層のデッキでお酒を頂いた。皇居から各地への出入り口として作られた辰野金吾の東京駅が、宵闇の東京の空の下に見下ろせる。駅舎は海底に沈められて碇のようで、周囲を丈高い高層のビルディングがどんどん囲んでいきそうな勢いである。新しい東京の眺めなのだと思う。東京駅も第二次世界大戦で姿を変えたが、半世紀以上を経過して記憶の引き出しのひとつとして姿を整えつつある。三菱一号館も同様の引き出しのひとつである。簡単には結論など出ないことだが、1970年代半ばから日本で速度を増した、建築物の大量破壊への社会のささやかな悔やみ、といえないことも無いかもしれない。