ウチそと研通信49 −まちへの視線−

先年、飯田鉄さんが韓国で写真展を催した折、あわせて企画された韓国版の刊行物に、不肖わたくし、飯田さんの仕事を紹介する一文を寄稿させていただいた。異国の方々に伝わりやすいようにと考えて、いろいろ抽斗の多い飯田さんの世界からいくつかの側面のみに限定し、大まかなところを述べる文章になった。行き届かないところも多いが、まんざら間違ったことも言っていないと思うし、ここでこっそり、その原文を公開してみます。ひとつの走り書き的覚書として。タイトルは「まちへの視線〜飯田鉄の写真をめぐって」。

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写真家飯田鉄がこれまで長年にわたり発表してきた写真は、東京という大都市とその外周につらなる各地域で撮られたシーンが中心をしめている。「写真都市」、「街の水・街の雲」、「まちの肌」、「まちの呼吸」等々の自作シリーズに付けた題名からもうかがえるとおり、飯田は初期から今にいたるまで、「都市」という社会的・歴史的な事象へ興味を寄せ、「まち」をいかに捉え、どのように写しとどめていくかに工夫をこらして、独自のカメラアイを磨いてきた写真家だと言うことができる。飯田が定着してきた都市(まち)とそこで生きる人々の像、ないしはその対象へのアプローチにあらわれた特徴的な事柄を、以下に三点ほど指摘してみたいと思う。

まず第一に、飯田が捉えたさまざまな都市生活の像を貫流するかのように、その写真群には、しばしば「川」べりの印象が滲みでている。彼が歩き、レンズをむける光景の地点は、川に沿ってその周りに形成された都市部の区域にあることがかなり多いようだ。川と都市とを輪郭づけている幾つかの橋、水門などのある眺めを写したショットもそこに含まれ、彼の描く都市像にとって欠かせない重厚な部分をなしている。また、1970年代末から80年代にかけて撮りすすめられた、町工場で働く人々とその背景を写したシリーズも、荒川や多摩川といった水の流れを境界として東京の対岸に広がった一帯(埼玉県川口、神奈川県川崎)に題材を得て、いわば、川べりの地で生まれた写真群だった。

彼の写真をつうじ浮かびあがる都市像には、どうやら一つの属性として、川に沿おうとする、河川を軸として都市風景の成り立ちや今ある様子を読みとっていこうとする、そうした視線が内在しているようなのだ。飯田はたびたび川沿いをたどり、そこから都市の日常の広がりを見つめてきた写真家でもあるのだ。

彼が写真を撮り始めた1960年代は日本の高度経済成長期にあたる。その頃、1964年開催の東京オリンピックをきっかけにして東京では急速に大がかりな都市改造がおこなわれ、各処に見られた多くの川や水路を埋め立て、あるいは蓋をかぶせて、川のある眺めが失われる動きがすすんだ。そうした時代の推移に抗するようにして、飯田の視線は、かつて庶民の暮らしとともにあり、東京の都市風景を豊かにしてきたはずの水の流れの付近へアプローチを重ねていったのではないか。私はときおり彼の写真群から川の匂いをかぎ、川風の感じを想起することがあるが、それはきっと、それらの画面のはしばしに過去の川の記憶が宿され、見え隠れしているからだろうと思えてくる。

第二に述べたい特色は、都市(まち)や建築物のディテールに投げかける飯田の視線に感じられる、物を作る行為や作り手たちの存在へ寄せる興味、共感の深さである。

コンピュータ制御のハイテクノロジーではなく、手でたしかめて使いこなす道具によって物作りをする人たち(職人や職工、また絵描きや建築意匠の作り手など)に対し、彼はつねづね親しみと尊敬の念を抱いてきたことだろう。都市のなかに埋め込まれ、ひそかに息づいている年季の入った構造物や建築意匠などのディテールを彼はよく撮影しているが、そうした写真群からは、ホモ・ファーベル(Homo-faber物を作る人)たちの営みへの確かな観察と感応がうかがえる。

彼の代表的な作品集『街区の眺め』は、東京の古い建造物や都市景観を捉えた写真を中心に編まれたものだったが、その主だった収録作からも、対象物のディテールや手ざわりの描写をつうじ、都市(まち)に形や意匠を与えてきた人々の存在の影がさまざま滲む。(「街区の眺め」シリーズでは、1923年の関東大震災を経て、その後の復興とともに今日的な東京の大まかな下図が形づくられていった1920〜30年代の時代層にとくに関心が払われ、その名残りをとどめた建造物のディテールや空間が多く撮影されていた。)

三番目に触れたいのは次のようなことだ。飯田鉄は、都市のなかの先端的だったり巨大なスケールだったりする派手なシーンを追うよりも、むしろ比較的小さなものをそっと一瞥することのほうを好み、そうした見方に親しんできた写真家だと言えよう。ある時、彼は自作に添え、こんな示唆的なコメントを記していた。

「もちろんこれは、わたしに限ったことではないのでしょうが、どことなく気になる物や場所があります。はっきり何故とはいえなくとも、そうしたものに、不安なような、しかし甘美な、引き込まれるような魅力を感じるのです。それは、なにかの曲がり角のような場所、あるいは、普段は目立たない片隅にそのようなものがあったりします。ああ、こんな場所が、ああ、こんな物がと気づいた時には、その場所や物が、周囲の眺めや街の音を消して、私の意識を占領してしまいます。(中略)ほんの些細な物や、ちょっとした位置の違いが、自分の送ってきた、まちでの暮らしの全体を呼び返すきっかけになるようです。まさにこの小さな軒燈や、鉢植の細長い葉の揺らぎが、私のまちへの出入口で、まちの記憶をたえず放射しつづける。不思議な通路の指標でもあります。」(飯田鉄「まちの記憶術9〈まちへの入口〉」『日本カメラ』誌より)

なにというほどもないちょっとした事象へ投げかけたまなざしが、過去のなにかを引き出すきっかけをもたらし、記憶の奥に埋もれていた世界を豊かに開くことがある。そしてそれは、写真のワンショットにも起こりうる。写真のまなざしは、画面に示された視覚的情報の範囲を越えて、見るものの心の「入口」を開き、そこには収まりきらない多くの記憶を引きつれ、喚びおこす力を持ちうるだろう。彼はそこのところをとても大切にして、その撮影術を育ててきたのだと思われる。

別のある時、彼は自らの撮影行為のねらいについて、「私達が暮らしてきた時代のまちを、何時でも召喚できるように、ささやかな索引をつくりたい」と述べていた。都市(まち)の記憶を喚びおこす「索引」づくりとしての写真。このような飯田のユニークな作業は、今も連綿と続行中である。