ウチそと研通信50 −記憶の箱−

今年が我が国にとって本当に変革の年になるのかわからないが、もっと大きな変革、明治維新があったのは今から140年ほど前のことだ。東京で育った自分は知らなかったのだが、明治期の京都は大変だったらしい。
この夏、京都市学校歴史博物館に行った。廃校になった小学校を改装した博物館には、京都の小学校の歴史を物語る様々な資料が展示されている。昔の教科書や教材が並ぶ中で地味だが目を引いたのが「御土器」(おどき)である。菊の紋が入っている素焼きの杯だ。
幕末の戦乱に加え、新政府による東京遷都に伴いその文化的な中心である天皇もいなくなった京都は疲弊し、人口が3分の2に減ってしまったという。天皇は、こうした京都の人々を慰撫するためにお金や他の品々と一緒にこの杯を各町に下賜したのだそうだ。
京都の危機に際して人々は何をしたか。都市の基盤整備や商工業の振興も大事であるが、特に力を入れたのは教育だった。まだ明治政府が学校制度(学制 1872年明治5年)を整える3年前、明治2年(1869)に64もの小学校を設立したのだ。しかもこれらの小学校はすべて町民らの手で運営された。
さらに京都の小学校が面白いのは、絵画の教育(図画教育)に力を入れたことだ。古くから美術工芸に携わる人々の多い京都。人々は教育の柱として「絵心」が大切であると考えたのだ。その教育の成果をしめすものとして、卒業生である画家や陶芸家などの芸術家から各小学校へ寄贈された美術工芸品も展示されている。
展示は見やすく、解説も丁寧で飽きることなく観覧することができた。こうした小規模ながら良質な施設を見ると、改めて博物館は単に古いものを保管する倉庫ではなく、過去の人々の営みやその記憶に触れることができる場であると感じるのだ。