ウチそと研通信62 −記憶のすき間−

祖母の名前は「かつ」という。日露戦争に勝ったので「かつ」とつけたのだと、私が子供のころ父から聞いた。ところが先日、ふと思いついて調べてみると祖母が死んだのは1985年、90歳のときだった。とすれば生まれたのは1895年、明治28年の生まれとなる。日露戦争が終わったのはそれより10年後の1905年、明治38年だ。祖母が生まれた1895年は日清戦争が終わった年だった。親から聞いた話で、しかも子供のときに聞いた話なので何にも疑わずそのまま信じていた。なぜ日清戦争日露戦争になったのだろう。
聞き取り調査などで、相手の証言に記憶違いや、記憶の一部の転位が確認されることはよくあることらしい。それがどのような理屈で起こるのかわからないが、それは不都合を隠すということだけでなく、その方が自分にとって心地良かったり、何か必要があってのことなのだろう。同じ出来事を同時に体験しても、人によってそれぞれ印象は異なるのだから、その記憶も時が経てば経つほどその隔たりは大きくなるだろう。小学校のころ徒競争で一等賞をとったという楽しい思い出が、実は本当かどうか、確かめようと思えば確かめられるが、そこはなんとなく曖昧にしたまま思い出を構成してゆく。記憶の美化作用は誰もが経験していることだろう。
千葉県にある国立歴史民俗博物館の新しい常設展示「現代」を見た。ダムに沈んだ村、水俣病など、他の博物館ではなかなか扱われないテーマを取り上げていて面白かった。しかし、なんとなく物足りなさを感じたのだった。
私の場合、過去40数年生きているわけだし、ものごころがついて30数年。さらにテレビのニュース映像や新聞、雑誌、書籍など、また両親や教師を通して、現代史についてそれなりの知識は身につけている、知っているつもりになっている。中世や近世とは異なり、現代史は見る側がかなりの情報量を持っているため、物足りなさを感じてしまうのだろう。ただ自分が歴史だと思い込んでいることも結構疑問ではある。歴史好きが集まって話をすると、結局ネタもとはたった一人の歴史小説家だったりする。
後日、森村泰昌展「なにものかへのレクイエム−戦場の頂上の芸術−」を見る。歴史が個人史の中に取り入れられていくようすを追体験しているようで面白かった。
あるテレビコマーシャルで小年が「(ネットで)つながっていない時代はどんな時代だったのか云々」というようなものがあった。そんなに昔のことではないが、ネットのなかった時代は情報の空白を想像力で補っていた。想像は誤解や偏見を生む恐れも多いが、他から強制されない自由な行為だと思う。ところが今は疑問を持つ暇もなく回答が提示され、街中にあふれる看板やサインのように少しでも余白があれば、どんどん埋められてしまう。だいたいの事は実際に見る前、体験する前からなんとなく知っている。
既視感にあふれる現在、歴史の編み方、またその記録や見せ方も含めて新たな手法が必要なのかもしれない。