ウチそと研通信73 −夢こそ現実であれば−

昨年暮れ、仕事で掛川を訪れた際に、資生堂アートハウス「駒井哲郎作品展・黒と白の旋律」を観る機会があった。版画では長谷川潔の詩的な雰囲気が好きだったが、こちらはまた違った味わいで、すっかり魅了されてしまった。小さなフレームの中の微妙な陰影、多重露光のようにさまざまなイメージが重なる。ベタ塗りよりも奥行きのある黒、最近老眼が進んでしまい、老眼鏡を忘れてしまった自分にはその行く先を確認できないほど細く美しい線。高精細な美しい銀塩写真を思わせる味わい。しかし写真にはできない表現。形にならないものが紙の上で像を結んで、現実の時間の流れや距離感を離れて、頭の中と直接つながっていく。以前に見た夢をいま改めてはっきりと自覚するような感じがする。
“夢こそ現実であればよいと云う願望”という彼の言葉に納得する。
記念に買った図録を見ると、銀座の資生堂アートギャラリーで同時開催の「色への憧憬」点の図版があり、こちらもどうしても見たくなり後日、銀座へいく。こちらの作品はさまざまな色が使われ、音を視覚的に表現すればこのようになるのだろうと思う。まさに音色とはこのことだ。青や茶も良いが、やはり黒が良かった。暗闇の入口か出口かその境界。暗闇の中、色彩の打点と、そこから波紋的に広がるイメージ。
そして先日、仕事が一段落し神保町古本屋街を散策する。本当は以前から仕事が落ち着いたら買いに行こうとチェックしていた駒井哲郎の挿絵がある埴谷雄高の『闇のなかの黒い馬』を購入するつもりであったが、どうしたことか自宅で古書データベースを検索しても出てこない。とても購入できる金額ではないが、駒井哲郎の版画を見るだけでも良いと思って神保町へ来たのだった。書店で見た版画の実物はとくに気に入った作品ではなく、また店内の照明のせいなのか、それほど魅力的には見えなかった。いくつか古書店をめぐるうち、かなり傷んでいたが、作品集を見つけ少々迷ったが購入する。自宅へ帰って開いてみると、生成りの紙面に鮮明に印刷された作品の数々。なんで今まで知らなかったのだろうかと思う。図録とはまったく違う。ページをめくるのが楽しい。図録数冊分、安価だったからシミも汚れも破れもあり、決して状態は良くないが、古本の匂いも、紙の手ざわりも、表紙の糸のほつれも、どれも心地よい。新しい楽しみを発見してしまった。