ウチそと研通信74 −石元さんのこと−

4月6日に港区にある国際文化会館で、石元泰博さんの話を聞く機会があった。地震の後の、私たちが今経験している不思議な街の暗さの中、地下鉄の駅出口から急な鳥居坂を、やはり不思議な三人がブリューゲルの絵のように、もつれ連れ立って会場へと向かった。国際文化会館は、石元さんご夫妻の結婚式が行われたところと今回初めて知ったことだが、坂の途中の夜空にあった月は、見事に大きな上弦の細い眉毛の月で、坂をあがる三人はその月の姿とともに、この夜の石元さんのことを印象深く記憶するに違いない。
会が始まり、石元さんが壇上に上がり、聞き手の中森康文さんの問いかけに答える形で話が進んで行った。私はこれまで数多くはないが石元さんの姿を拝見している。壇上の石元さんは私のこれまでの記憶とあまり変わらず、元気なお姿で中森さんの問いに答えて話をされていた。会のタイトルどおり、全体として丹下健三との共同作業である桂の写真を中心に話が進められた印象が強いが、シカゴに出る前の話など、写真家になる途中の時代のことを石元さんの肉声で伺えたのは楽しかった。他にも、美術出版社の編集の方が、石元さんを京王線沿線の下宿先に何度か訪ねる、若い頃の出会いの記憶を、石元さんに向かって鮮やかに話されたのも心に残る。不在の下宿から駅に戻る途中、カメラをむき出しに持ったセーター姿の青年と出会い、その女性の編集者が石元さんに初めて声をかける話である。
会の終わり頃、現在は写真をほとんど撮影していないこと、かつてはカメラを持っていないと自分が裸でいるような気持がしたが、今ではそのようなことはないと、石元さんの語り口で軽やかに、淡々と話されていた。アメリカと日本の二つの国を生きてきた写真家を知るには短い時間だが、その声と石元泰博さんのすがたは、しばらく心から離れないように思う。
*「写真家 石元泰博と戦後日本モダニズム芸術−『桂』を中心に」
2011年4月6日 国際文化会館