[大日方欣一]ウチそと研通信75 −カーテン、模造紙、吐息、とめ釘−

ティーヴン・ショアー著『写真の本質』(PAIDON)は、なにぶん言葉が少ないこともあるし、熟読しようにもしにくい、斜め読みをくり返すほかないような性質の本である。ショアーが仮設する枠組み(物理的レヴェル、描写レヴェル、メンタル・レヴェル)にそって、古今のさまざまな図版を示しながら、写真とはどのような表現媒体なのかを解きほぐしていこうとする、著者自身の教育実践を踏まえてつくられた入門書ということだが、案外手ごわい内容で、読んでいて謎をかけられたように感じる箇所がいくつもある。

当然、翻訳の問題もありそうだ。部分的に原文と対照してみたところ、日本語版の訳はかなり思いきって意訳をほどこしている傾向が見られ、それが理解をたすけているとは必ずしもいえない。たとえば、p.10にこういうくだりがある。「…この印画紙上に画像が写り、私たちを仮想世界へと導いていく。」 ここに目が留まって、ショアーの使った言葉で「仮想世界」は何というのかが気になった。該当するのは原著の次の一句だろう。“On this print is an image, an illusion of window onto the world.”

ある意味、「仮想世界」というような概念をここで導入してくる訳者の豪腕ぶりはみごとだが、違和感も拭えない。印画紙の上に成り立つ写真のイメージを、ショアーは「イリュージョン」といい換えており、本書全体をとおして「写真=イリュージョン」として捉える視点がかなりはっきりと打ち出されていると思われるだけに、上記箇所の訳でも「イリュージョン」の一語をおもてに出してよかったのではないか。それを「仮想世界」というコワモテの用語でいいくるめると、かえって話を狭め、いいたい核心が見えにくくなりそうに危ぶまれる。

しかし、訳語のこまかいところに拘泥しているよりも、この本はまず写真集、ユニークな写真のアンソロジーなのだ、図版ページに飛び込んでじっくり眺め入りたい。まず冒頭の数ページ、本書全体の導入部に当たる部分を見返してみようと思うのだが、そこには4枚の図版が置かれていた。すなわち、

ロバート・フランク《ホテルの窓からの眺め−モンタナ州ビュート》1954-55、
ジョン・ゴセジ《ロマンス・インダストリー#175》1998、
ディーター・アッペルト《吐息で曇った鏡》1977、
ウォーカー・エヴァンズ《フランク・トングの家で撮ったスナップショット》1936。

(続く)