ウチそと研通信77  −不鮮明な挿画−

先日、授業を担当している学校の生徒の一人が写真集「抱擁」を見て、細江英公さんのことを知りたいと言ってきたことがあった。そのときは頭の中を様々なことがよぎり、ひとことではなかなか言えそうもないと思ったけれど、「抱擁」の男女の裸体の組み合わせは、その学生がすでに見ているわけで、細江さんの別な写真について話してみた。もちろん頭の中には「薔薇刑」などのイメージが浮かんでいたことは確かである。それともうひとつ、文学者や美術家などのポートレートとその周辺を撮影する、大昔のアサヒカメラの連載のことも思い出し、若い頃の澁澤龍彦なんかも撮っていて面白いよ、と教えてみた。  
細江さんのその連載はリアルタイムで見ていたもので、登場する人達を作品などよりも先に、細江さんの被写体として知ることになった。なかでも鮮やかに覚えているのは澁澤龍彦とその夫人のふたりが、海辺で花札を引いている写真であった。いまから思うと「第七の封印」のもじりのようにも感じられるが、湘南辺りと思われる真昼の砂浜で、サングラスをかけた和服の男と、大きな帽子を被り長い手袋をした洋装の女が、大げさな仕草で花札に興じるモノクロームの場面は、なんとも印象深く感じられてならなかった。夫人の女性が矢川澄子という人で、そのようなことを知るのはずっと後のことだ。
若い学生にそのようなたぶん通じにくいであろう話をしつつ、頭の中では澁澤龍彦のことなどぼんやりと思い始め、行き着いたのは「胡桃の中の世界」という彼の本のことであった。手元の本は1974年に青土社から刊行されたもので、私の場合、この本から澁澤という人の文章に初めて親しみを感じ、他の著作もあらためて読み始めるきっかけになっている。1970年代前半に雑誌「ユリイカ」などに連載されたエッセーをまとめたもので、私などにもわかりやすく面白いと思え、読み耽った書物である。じつはこの本で興味深いと感じたのはテキストそのものだけではなく、各章にちりばめられている挿絵や写真という画像であった。ほとんどが他の印刷物からの転載や複写と思われる幾分鮮明さを欠いた白黒印刷の画像で、微妙にテキストと響きあうのが楽しく、不鮮明さにもかかわらず何度も眺めた記憶がある。ルドゥーという建築家の名前もこの本で知った。
このやや不鮮明な類いの画像に親しみを感じたのはけっして初めてではなく、それ以前からある種の挿絵や写真に同じような楽しさを感じるときがあった。たとえば百科事典のコーヒーの項目に添えられたコーヒー農園の写真や、たとえばピラミッドの説明の写真など、誰が撮ったとも、何時撮影したともわからない精細度の高くない写真に気を惹かれることが幾たびもあったからである。これはきわめて個人的な嗜好と言えなくもないが、高校時代の「O」という友人も同じような感想を述べていたことがあったので、自分ではあながち特殊な趣味とも言えない気がしている。「胡桃の中の世界」に載せられていたエディンバラの石造りの日時計の写真など、何度見ても見飽きない。この感触を少し延長すると、ロラン・バルトの本に添えられている写真であるとか、以前このブログでも取り上げたゼーバルトの写真群などにも重なり合いながらつながっても行くような思いがしてならない。
ここまで長々と記してきたことは、つまりは百科事典に見られるようないささか不鮮明な写真に寄せる心もとない個人的な関心に過ぎない感触ではあるけれど、じつは先だって「二つに分かれる小道のある庭」と題して、トーテムポール・ギャラリーで展示した写真を撮った動機の幾分かは、そのいささか不鮮明な写真に寄せる私の気持の反映だったのではないかと、午後の教室でコントラストのくっきりした細江さんの写真について思いを巡らせつつ気づいたのである。とり止めのない境目のない一枚の布が私の中で織り上げられていた。澁澤龍彦というひとが写真をどう考えていたか詳しくないが、文章と同様に、図像も楽しむタイプの人であったことはたしかなような気はする。ただ、自分で写真を撮ることを特に好んだようには見られない。後年、ヨーロッパ旅行の際、キャノネットで撮られた写真の類を見ると、見事に「紋切り型」で、これも面白く感じられたりする。