ウチそと研通信107 −「高峰秀子」の写真−

今「高峰秀子 旅の流儀」という本を開いている。表紙カバーには1963年ごろにロンドンで撮影されたというモノクロームの写真が使われているが、画面の季節は冬、雨上がりらしく路面は濡れてひんやりした空気の感触が伝わってくるようだ。高峰秀子はベージュに見える厚手のコートの襟を立て、黒い帽子にそしてやはり黒い手袋という姿、やや大きめのハンドバックを腕に抱え、城門らしきアーチの前に立ち、カメラのほうにやや曖昧な視線を向けている半身像である。身作りにはさすがに隙がない。石造りのアーチの奥には警備の警官が3人、コート姿の人物となにやら話しながらいぶかしげに撮影者たちを見ている。背景の人物たちはボケて小さく写っているけれど、画面上では高峰秀子の顔のそばに制服姿の彼らとこちらをむいている顔と視線がわかるため、写真のためのポーズをとる高峰の表情との間にいくばくかの違和感が生じている。たぶんそのために印象の強い写真になっていて、自分がこの本を手に取る動機になったのかと思われる。この本には外国の町でポーズをとる高峰秀子の写真がたくさん掲載されているが、カバーの写真はよく使われるブランデンブルク門を背景にした夫である松山善三氏とのツーショット写真とともに、生き生きと何かが浮かび上がる見飽きない写真に思えてならない。映画女優という職業から、紋きり型のポーズで写され残っている写真が他のページの多くを占めていてそれも興味深いが、表紙に使われている写真は私にとってはなかなか魅力的でもう一歩考えてみたい気持ちになっている。撮影者のクレジットがないので誰の撮影かはわからないが、同じ時期に松山善三氏と旅行をしているので松山氏の撮影である可能性もある。背景の男たちの視線もどこかで感じながらとりあえずシャッターを押した写真が選ばれてプリントされ、また再び選ばれて表紙カバーに用いられる。
本を読むと高峰秀子の発言が眼に入ってくる。なかでも面白かったのは『私は夕日見たって、「フン、赤いや」と思うだけだし、海がありゃ、「海、ああ青いね」と思うだけだから、、、』、松山氏の言い方によると、彼女は、どんな雄大、絶景、オオ、ビュティフルな風景を見ても、ふんと、鼻の先で笑う。出てくる科白は決っている。「綺麗ネ。だけど、それがどうしたのサ」ということになる。ざっくりとした高峰秀子の物言いは素敵だと思う。ちなみにこの本にも渡辺一夫先生との対談が採録されていて、座談の名手でもあったようだ。別な本で読んだ三島由紀夫との対談は傑作である。このような人が幾多のカメラの前でポーズをとっていたと想像しながら再び彼女の写真を眺めている。