ウチそと研通信114 −離散型、散開型の写真−

前回の「異色の写真家列伝」(四谷ひろばで年2回おこなっている講座)で、長船恒利さんのことを取りあげた折に、しめくくりのやりとりの中で飯田鉄さんから、長船さんと北代省三さんの写真はどこか近しいところがある、というコメントが飛び出し、意表をつかれる思いがした。その時の文脈から推しはかるに、飯田さんはとくに長船さんの代表作と目されてきた「在るもの」シリーズの後に続く、1980年代の6×6判による「スナップショット」シリーズや、4×5の「山境横断」、あるいは晩年に取り組んでいたカラーの「Traverse」というシリーズなどの、一見とりとめもなく坦々と歩き続けていくような、意味やスタイルの収斂をつよく志向せず、未完結な状態をどこまでも保ち続けるかのような写真のありようを指して、また、そこに認められる「離散」型、「散開」型ともいえそうなシリーズの生成原理を指して、北代さんの写真と近しいものがそこに感じられる、と述べておられたのではないだろうか。

川崎市岡本太郎美術館で、10月19日から、北代さんの展示がはじまった。題して「かたちとシミュレーション−北代省三の写真と実験」。ちょうど今年は、北代さんがメンバーだったインターメディアの前衛アーティスト集団「実験工房」の活動をふりかえる展示が、鎌倉の近代美術館を皮切りに、いわき、富山、北九州、そして11月後半には世田谷美術館へと巡回中であり、その機会をとらえ、同時開催のかたちで北代さんの仕事をたどりなおす企画が実現のはこびとなったのである。岡本太郎美では、10年前にも北代さんの回顧展を催しているが、その際には絵画、モビール、デザインなど多岐にわたる領域での造形活動が綜合的に扱われ、写真作品は全体の3分の1程度にとどまっていたのに対し、今回の展示は写真による試みを軸としている。今まで一般の眼に触れることのなかった、初公開作品もかなりの数にのぼる。そうした中でも、1970年代に入ってからの北代さんが続けていたストリート・スナップの諸作品は、「造形写真」とか「構成主義的」といったタームで形容されがちな北代写真の、それとは違う、あきらかに別の様相を露わにするものであり、そこにこそ北代さんの肉声といってはおかしいが、本質的ななにかが滲みだしているのではあるまいか。それらは多くが、午後の日盛りをすぎ、トワイライトにむかっていく時間帯に撮られた街のスナップである。

工作舎の雑誌『遊』に対話篇のエッセイとともに発表された「自動販売器のある空間」、それと同じ一連の撮影と考えられる「ホロゴン・コンポラ風」とメモされた印画紙箱に仕舞われていた沢山のプリント、さらに1977年、木の素材を中心に組み立てた自作カメラ(フォックス・タルボットが使用したカメラの愛称にちなみ、“マウス・トラップ”と名づけられた)による6×9判のスナップ群。これらの写真には、「アッジェがライカで撮ったらどんな写真を撮るのだろうか?」という1970年代の大辻清司が胸中に反芻していた問いが、分かち持たれていたのではないかと思わせるものが包含されているだろう。そして、長船恒利の「散開」する視線と、たしかに共鳴しあうものが見え隠れするようだ。

それらは、がんばっている、とはいわない写真。“マウス・トラップ”によるスナップは、北代さんが1956年以来作成を続けたベタ焼きアルバムの最後のページに現われる写真でもあった。彼が写真という道具から離れる間際に撮られた写真だったと考えられるのだが、それらのいかにも軽い視線の足どり、そこに湧き出てくる境地を、展示会場であらため確かめたいと思っている。


川崎市岡本太郎美術館
http://www.taromuseum.jp/