ウチそと研通信6 −スナップショットの時間(その2)−

関口正夫と三浦和人の写真、メモの続き。

・関口さんのスナップでは、重心を低くとることが習性のようにつらぬかれており、画面の群れにうかがえるその歩行のさまは、下半身が地べたにぴたりと添う、すり足を思わせる。それに対し、三浦さんの場合は、重心を浮かし気味にすることがよくあると感じられる。ゆるゆると地上1メートルだいのあたりを眼差しがなめらかに低空飛行していくかのよう、近作になるほどにその傾きは強まる。今回の展示を通覧して、そうしたそれぞれの世界感受のあり方、歩のすすめ方が、とても率直にあらわれていると思え、対照ぶりに興味をそそられた。

・関口さんの写真群から透かし見えてくるのは、バラック都市の原像。仮設に仮設の状態を重ねて変転し、ツギハギをもって常とする都市の像が浮かんでくる。それは生活のある(匂う、滲む、露わになる)都市で、その内臓の管のなかをめぐり続けるようにしてスナップが展開している。
都市のけものみち、というと粗暴な言いまわしになりすぎかもわからないが、関口さんのストリートスナップにときどきヌッとあらわれるケモノたち(馬や象、テナガザル、犬小屋にいる猫、石造りの類人猿…)の存在はやはり忘れがたく、関口的世界像にとって肝ではないかとさえ思えてくる。根底にふつふつとある息吹きを伝えるかのようだ。

・三浦さんの今回の展示では、結びのパートにあったカラーとモノクロの一群の近作「ゆっくり歩みを人のなかへ」に醸成されつつある境地(世界感受のあり方)を基礎に置き、そうした今の視点から、学生時代以来これまでに撮ってきた写真をとらえ返し、あらたなセレクトで全体を組み立てることがおこなわれていたように思った。真っ当な、大胆に省略を効かせた写真のセレクトの仕方で、写真家本人が直観的に筋をとおしていけばこうなるのだな、と受けとめた。そしてまた、会場を何度かめぐりながら、ここにあるのとはもう一つ違った三浦ワールドも作れるのではないか、と別の可能性へも思いが向かった。
三浦和人は、身をはこんだその場所、その土地の力というべきものに対し、のびのびと繊細に感応して多くのスナップショットを撮ってきた写真家でもあるはず。土地の力、場所の力への意識をもって、さまざまに作品を産んできた人でもあるはず。「地理的写真家」としての三浦さんに焦点をあてる展示もまた、これは絶対ありうる、面白くなるぞと確信できるのだ。