ウチそと研通信154 連続した自分の個展のこと、山崎弘義氏の「Know Thyself」展について

今年の関東の梅雨はあまり雨も降らないままにとうとう明けてしまったようだ。
ここのところ、3月にギャラリー・ニエプスで、そして6月末から7月初めにかけては小伝馬町のルーニィでと個展が続いた。連続しての展示を初めから予定をしていたわけではないけれど、ニエプスでは「草のオルガン」と題してここ数年に撮りためたデジタルカメラによるカラー画像、ルーニィでは「街の記憶術」と題する30年ほど以前に撮影したモノクロームの築地の画像の展示。結果として二つの内容の異なる展示を、あまり間をおかずに展示することになった。自分の中では振り返る作業と、追いかけている作業を並列したような気持ちになっているのが面白い。けれど、ある意味では実は双方ともにあまり差がなく、常に眼の前にないものを追いかける、という作業になっているのかとも思われる。どちらもギャラリーの企画展ということで、お声を掛けていただいたことを感謝したい。
「草のオルガン」は昨年の日本カメラ6月号に同じタイトルで掲載されたシリーズと同じ流れの画像を自分なりに展示している。このシリーズは富士ゼロックスの広報誌、「グラフィケーション」電子版最新号No.10号にも「草のオルガン」として掲載されているのでタブレット、パソコンなどでもご覧いただける。自分の個展セレクトとまた編集のされ方によって画像がどう違って見えてくるのか、またどのように変化してゆけるのか、地道に作業を続けて行くつもりだ。もう一つ、「街の記憶術」は1980年代の築地の情景を撮影したものだが、これまで未発表の画像を多く含み、ネガチェックが面白かった。この作業の系列でいえば、最初の個展である1970年前後の東京で撮影した「写真都市」(1975年新宿ニコンサロン)以来、東京、川口、上野、川崎、関東周辺の街々、そして今回の築地で「関東という器」がおぼろげにかたちをなしてきたようにも思える。
さて最近見た山崎弘義さんの展示「Know Thyself」はとても興味深かった。家族を撮影した画像で密度の高い写真集を出版している山崎さんだが、今回の展示と合わせて体験すると、見るということについて、集中、執着、の山崎さんの強度の大きさがこちらにより響いてくるように感じる。街中に装置されている監視カメラからキャプチャーされた自分の連続カット、まずは写ることというようにして撮影された上半身裸の自写像、そして太ももから頭部までの自身の裸の「側面」をシルエットで投影した4分割の大きなモノクロームの画像。この3つの要素がお互いに影響し合うように構成されていた。なかでも彼の男性器まで影じられているシルエットが印象深い。高松次郎のことや、プロフィールということではローマ時代の貨幣などもすぐに連想させるけれど、この会場でシルエットが主張した生々しさは記憶に残るだろう。今回は自分の「見かけ」を掛け値なしに認識することとはという展示なのだろうか、次回の山崎さんの発表が楽しみだ。
山崎弘義写真展「Know Thyself」2017年7月11日〜7月23日TAP Gallery