飯田鉄
先日、目黒区美術館で各ジャンルの作家7人の作品で構成される「メグロアドレス−都会に生きる作家−」展を見た。そのなかのひとり、今井智己さんの写真作品のいくつかにふれて、不思議な感触が生じてなかなか面白かった。他ジャンルの展示のなかで今井さんの写…
2月25日の土曜日夜、第5回目のウチそと研主催の課外講座、大日方欣一さんの講演がおよそ2時間半に渡って、四谷三丁目で行われました。写真家大辻清司さんの「無言歌」という作品を中心に、大辻さんの写真について話が進められましたが、大勢の皆さんが…
先日、銀座のポーラミュージアムアネックスでのファッション写真の展示、「Chic and Luxury」展を興味深くみた。古いものでホルスト、新しいところでは1983年制作というヘルムート・ニュートンまで、ヴォーグ、バザーなどのファッション誌に使われたと思われ…
先日、授業を担当している学校の生徒の一人が写真集「抱擁」を見て、細江英公さんのことを知りたいと言ってきたことがあった。そのときは頭の中を様々なことがよぎり、ひとことではなかなか言えそうもないと思ったけれど、「抱擁」の男女の裸体の組み合わせ…
4月6日に港区にある国際文化会館で、石元泰博さんの話を聞く機会があった。地震の後の、私たちが今経験している不思議な街の暗さの中、地下鉄の駅出口から急な鳥居坂を、やはり不思議な三人がブリューゲルの絵のように、もつれ連れ立って会場へと向かった…
写真集「日々」が刊行されたのは1971年のことであった。牛腸茂雄さんと関口正夫さんの二人の写真が集められた、いまでは有名になっている写真集である。写真集では関口さん、牛腸さんの順序で編集され、冒頭には大辻清司氏のテキストが付されている。このそ…
久しぶりに歌集を買ってみた。光森裕樹という人の歌集である。友人からのお薦めだった。私にとっては、はじめてその歌をみる人で、「かばん」などの流れにも混じるような歌が多いが、初期の寺山修司の匂いなどいくつかの近い過去の歌人を思い起こさせるもの…
先月のウチそと研の集まりでメンバーの大日方さんから一冊の本を頂いた。本の題名は「夢の抜け口」という。京都の甲斐扶佐義さんが京都の日常を長期間撮影した写真と、杉本秀太郎さんの書き起こす、夢の事柄と実際の事柄を織りあわせた文とで出来上がってい…
『佐原宏臣写真展を見て』 1月の末に新宿のギャラリーで久しぶりに佐原宏臣さんの写真を見ることができた。写真は佐原さんの家族、血縁の葬式や法事の場面が何年かにわたって記録されているものを中心に展示されていた。肉親や血縁をめぐる事柄としては、同…
―エマニュエル・リヴァが撮影した広島の写真について― 年末から年の初めにかけての、何をするというのでもない時間に、ここのところ印象に残っている写真や読み物のことをぼんやりと考えていた。写真に関して言えば、何度となく目にしてきたものの印象を頭の…
先日、写真の内側・外側研究会の今年最後の例会があり、竹橋の近代美術館の常設展示を会の皆さんとみることになった。メンバーのほとんどはここの常設展示はすでにお馴染みで、私も半年に一度は必ずこの場所を訪れている。 何度も目にした作品ばかりではある…
今月、10月27日から四谷3丁目にあるギャラリーで写真の展示を行うことになった。展示を括るタイトルは「博物誌に寄せて」とし、40点弱の写真を並べてみることにしている。 今年の夏に小諸のギャラリーで展示した写真を新たに大全紙サイズにプリントし直し、…
先だって丸の内に復元された三菱一号館をみる機会があり、興味深い思いをした。建物だけでなく場所も元の位置と2メートルほど異なるだけと言う。復元作業に深く関係された三菱地所のNさん直々の説明を伺いながらの少人数の見学会で、出来上がる過程を御本人…
私が暮らしている町には古本屋が多く、駅への行き帰りに古本屋の棚を覘くのも日頃の習慣のひとつとなっている。そして電車で一駅、二駅隣の街には、さらに数多くの古本屋が散らばっている。この町に移り住んでからそれなりに年数も経つので、この辺りの古本…
4月の写真展「古いひかり」に続いて、7月、8月の2ヶ月にわたり個展を開く事になった。 今回は、私が折をみて撮り続けてきた、博物館や動物園、植物園の写真を展示することにしている。撮影の対象としては、これまで多くの人々が撮影をし発表もしているも…
マヤ・デレンの映画を久しぶりに観る。 昨年、とあるところで私よりかなり年下と思われる女性の写真家と話をする機会があった。初対面の彼女の作品についてすこし感想を述べる時、ふと思いついたのは、マヤ・デレンという人の映画の感触だった。マヤ・デレン…
何度読んでみても、ヘンリー・ジェイムスの書いた「ねじの回転」という小説は面白い。 これは一種の幽霊譚とも言うべき小説で、一人の女性が書いた手記を、知人の男性が読み手に紹介する形式をとったものだ。このずっと昔の19世紀の末に書かれた物語は、きわ…
大山さんがテキストを書き起こしているように、三回目の例会は浅草演芸ホールを楽しむと言う事になった。 観覧後、場所を変え、少し古めかしい喫茶店でお茶を飲みながらの感想交換は前回同様、面白い時間である。今回は寄席を見ることを体験したけれど、浅草…
ここのところ、4月に予定している写真展の準備で何かと毎日が気ぜわしい。草森紳一さんがどこかで、展覧会など迷惑だと書かれていたけれど、私も知人、友人の貴重な時間をいくばくか奪っている場合もあるわけで、確かに迷惑な企てでもあろう。このような迷惑…
ここのところ遅ればせながら、ゼーバルトの散文作品を少しずつ読み始めている。ゼーバルトは1944年、ドイツに生まれ、後年英国で近現代ドイツ文学の講座を持っていた人物とある。2001年に事故死をしている。 私は数冊の翻訳された散文作品に眼を通し…
或るとき、村全体の住民が突然消失し、後には食べかけのトースト、干しかけの洗濯物がそのままテーブルや洗濯機のそばに置かれている。そして壁の時計だけはこつこつと時を静かに刻んでいる。そのような情景が超常的な物語のなかによく描かれていたりする。 …
昨年春、草森紳一氏が亡くなっている。 先月の半ばに銀座で写真家のO先生に偶然お目にかかることがあった。そして立ち話ではと、ヨーロッパ風のカフェの、それほど広くはない一隅でお茶を頂くことになった。O先生は草森さんとは親しく、以前に若い時代の交…
蔵原惟繕の監督作品、「狂熱の季節」をはじめて観た。東京の渋谷を背景に,ティンエージの若者達のエピソードを映像にしたもので、1960年度の作品である。 主演の川地民夫は見物だった。鈴木清順の幾つかの作品にバイプレイヤーとして登場する時の川地民夫の…
かなり昔、沢田研二という人を新聞の仕事で撮影した事がある。 毎週ひとりずつ、タレントといわれるひと達を紹介する欄の、よく言えばポートレートを撮影する仕事のひとつであった。流されてゆくような仕事でもあったが、そのときの彼の瑞々しさはひときわで…
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの版画展を町田市の版画美術館で見た。ピラネージは18世紀イタリアの版画家、建築家で、ゲーテや多くの文人、建築家、画家に影響を与えた人だ。この美術館でピラネージを見るのは二度目になる。前回はかなり以前で…
吉村公三郎の著作に「映像の演出」と言う本がある。誤解を恐れずに言えば演出の技法書である。内容はまさにタイトルどうりで、いささかの掛け値もない。吉村公三郎は松竹の出身で、後年大映でいくつかの作品を監督している。いわゆる巨匠の一人である。師匠…
授業の際、ときおり学生たちに写真集を見せる事がある。しかし、美術系の学校である事もあって、どうしてもアート志向のものに片寄ってしまいがちである。そこで少し違う傾向のものをと思い、手元にあったキャパの写真集を持っていった事がある。ロバート・…
動画と静止画について、大山さんが考察をしている。大山さんの論考とは少しずれるけれど、動画と静止画の関係のなかで少し面白いと考えられる写真のジャンルに「スチル写真」(あるいはスチールとも呼ぶ)というものがある。そのままだと静物写真の事と思わ…
先日、三鷹で関口正夫、三浦和人の二人展を見た。 なかなか見ごたえのある展示で、お二人とも40年以上もしっかりと写真と向き合ってきたことがよく分かる興味深い展覧会であった。この展示を見てまず感じたことは、写真という道具がどこに力点がおかれるか…
これから始まる写真の内側・外側研究会は飯田鉄、大日方欣一、大山裕の三人が中心になって活動をするグループです。写真に対する興味を中心にして、写真と繋がるもの、写真と重なるもの、そして写真と響きあうもの、さらに写真を照らし出すものたちのことを…